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誰が何と言おうと「ブレードランナー ファイナル・カット」 [映画/DVD感想]


先日、新宿バルト9 http://wald9.com/index.html で観ました。
画面は凄く綺麗になっていたけど(特にタイレル社の建物の照明は単に白っぽかったのが青くなっていて非常に美しい)、余計な効果音(電子音、ポワーンとかキュイーンとか、レイチェルとデッカードのラブシーンで特に)が増えて音はいまいち。最後のデッカードをロイ・バッティが助けるシーンでもっとBGMを大きくして欲しかったな。
タフィーズバーの3人のセミヌードの女の追加シーンもぶよぶよしたデブで気持ち悪かった。
今回も都市の中に隠れていると言われるミレニアム・ファルコンを見つけることはできませんでした・・・。
やっぱりデッカードのモノローグが無いと映画がわかりづらい。
あとユニコーンの夢のシーンは減っていた様な。
それにしても何でプログラムが売ってないの?ディレクターズカットの時はちゃんとあったのに。

 あの押井守をして「私は圧倒され、ひれ伏した」と賛美されたSF映画の金字塔「ブレードランナー」。同氏はさらに「SF映画の歴史はブレードランナーを境に過去と現在に分けられた」とまで言っている。確かにブレードランナー以前のSF(「2001年宇宙の旅」など)は、全てが想像上の産物として作られていたが、ブレードランナーでは、非常に現代的な当時の世相を表した部分と、高度なテクノロジーを駆使した未来世界がキメラ状に入り混じって、しかもそれらが全く無理が無い。この近未来SFのリアル観がその後のSF(「未来世紀ブラジル」や「バンカーパレスホテル」など)の標準になったと言える。彼は今でも「ブレードランナーを追いかけている」と述べている様に、攻殻機動隊にもその影響が色濃く現れている。中国や日本、アジアをミックスした混沌とした無国籍な都会の雑踏。更にそれらのカットがストーリーとは何の関係もなく画像に長々と入り込んでくるあたりがそれだ。それこそが彼の言う「映画とはキャスティングやストーリー中心で作るものではなく、カメラに寄って切り取られる世界そのものをもって世に問うもの」というコメントに繋がるのであろう。観客を観たことのない世界観に引きずり込むことによってもはや、物語は一人手に動き出し、そこに理屈や必然性はもはや不用となる。ブレードランナーの世界は、冷静に考えると相当へんてこな世界だ。しかし、それをあの素晴らしい映像美によって現実的な矛盾などねじ伏せる圧倒的な凄さがある。

 私がブレードランナーに最初に出会ったのは幸か不幸かテレビだった。1982年公開当初は全く話題にならなかったため映画館には観に行かなかったのだ。1986年4月14日(月)TBS「月曜ロードーショー」。吹き替えだった(しかしこの吹き替えはかなり貴重らしい)。私は幸運にもこの録画ビデオを今でも持っている。もう何十回となく擦り切れるほど観た。最初に驚いたのは、その映像美もさることながらセオリーの無視である。本来ヒーローであり主役であるはずのデッカードがどこまでもかっこ悪いことだ。武器を持たない女を後ろから撃つわ、タコ殴りにされている所を女に助けられるわ、女に股座で挟まれ首を折られそうになるわ、逃げまくった挙句敵に命を救ってもらうわで、まったくさえない。「アメリカングラフティ」で大口を叩いてレースをした挙句、土手から転げ落ちるハリソン・フォードの出世作を彷彿とさせた。その反面際立ったのが悪役であるルドガー・ハウアー扮するロイ・バッティだ。その悪魔的な表情の美しさ、哲学的な言葉と、プリスの血で化粧をしたり、戦闘中に窓から吠えたり、白ハトを抱えたりと全く無意味と思える魔術的な仕草が私を魅了した。加えて人工美の頂点を極めるレイチェルのどこまでも無表情な妖艶さ。歩き方や煙草に火をつける仕草一つまで洗練されたこだわり、ピアノを弾く際のギリシャの女神の彫像の様な肌の白さが実に美しかった。更にはタイレル博士の眼鏡、粋なガフの服装、ハレハレ躍りをする町の僧侶、マヤの遺跡を思わせる建物の形状や柱の模様など、端役の服装や壁面に至るまで一切の妥協のないこだわりが圧倒的な世界観の源泉である。「スターウォーズ」に由来する細部への製作者の徹底的なこだわりが、観客を作り物ではないリアル世界に引きずり込む重要なファクターとなる。そしてホールデンやデッカードが行うテストの不可解な言葉の意味深さ、デッカードの人生の悟りのモノローグ、レイチェルの女郎蜘蛛の思い出、中国系眼球製造技師を殺す際やデッカードを助けた時の神話を語る様なバッティのメッセージなど科白一つ一つに全く手抜きがない。ロボットは人間になれるか?という鉄腕アトムを初めとするSFの永遠の命題に、”記憶の製造”という要素が加えられ、且つこれらの科白が、ともすればB級カルトだった映画を後々まで語り継がれる崇高な作品に引き上げたのである。

この映像がブレードランナーのイメージとして最初に摺り込まれてしまったために、その後リバイバル上映を劇場で観たら、そのイメージのギャップにがっかりしたものだ。何よりも世田谷の場末の小さな映画館だったのがいけなかった。画面は小さいし、音は最悪だった。ヴァンゲリスのBGMも音が非常に小さく盛り上がらなかった。さらにカットされた暴力シーン(タイレルの目をバッティが潰して血が出るシーンなど)が生々しく、一緒に観にいったツレからはホラー映画と言われてしまった。また、デッカードがレイチェルに無理やりキスするシーンもテレビではカットされていたが、なにか暴力的レイプシーンみたいで気まずくなった。更に一番がっかりしたのはルドガー・ハウアーの声が高すぎる!特に最後の吠えたり歌ったりしながらハリソン・フォードを追いかけるシーン。吹き替えの寺田農の声が高すぎず低すぎず実に威厳のあるいい声だったが(あと、タイレルの大木民夫の声も良かった)、劇場の方ではもっとイカれたルドガー・ハウアーの狂人ぶりが強調されてしまった。
また、字幕もおおざっぱ過ぎて酷かった。あれでは略し過ぎて殆ど内容がわからない(例えば、デッカードがブライアントに仕事を断るシーン。「二度とヤル気はないね」→「なめんなよ」はねぇだろう!なんじゃそりゃ?)。

更にその後、友人から「完全版」のビデオもいただいたが、テレビでは無かった上下の黒枠が太すぎて画面が小さい(笑)。これは私のテレビが悪いのだが・・・。
音楽もテレビ版の方が必要以上に音が大きくて良かったなぁ。あれはむしろ編集ミスなんだろうか?

そしてやって来た1992年「ディレクターズカット」版、喜び勇んで劇場に観にいったさ。今度は有楽町(確か、いや新宿だったか?)の大画面だから間違いない。しかしまたがっかり。ユニコーンのシーンはもろに「レジェンド」じゃないか。最後のデッカードとレイチェルの逃亡シーンもショーン・ヤングの笑顔が実に美しくて結構好きだったんだよなぁ。まあ最後の無意味な山のシーンは「シャイニング」から盗って来たものだから要らないにしても、あの二人で光の中笑い合うシーンは残しておいてもいいんじゃないかと思った。やっぱりハッピーエンドの方が俺は単純に好きだなぁ。扉が閉まるシーンで唐突に終わるのは尻切れトンボみたいな気がして。

今回、新宿バルト9。音響もスクリーンも席も申し分なかった。まだ新しい映画館だけあって天井の高い駅の待合室の様なチケット売り場も、階段途中のカフェも大変洒落ていてどこか古風で、ブレードランナーの古くて新しい近未来社会の余韻をぶち壊すものではなかった。私は製作から四半世紀経って、漸く望んでいた映像美に出会うことが出来た気がする。スピナーから見下ろす未来世界の光の洪水。現代では全く雨が降らないロサンゼルスの降り注ぐ酸性雨に煙る2019年のセピア色の空、ともすれば不気味な芸者風日本人女性の大画面広告塔の戦慄。そしてTDK等のネオンをバックに鳴り響く壮大なるヴァンゲリスの音楽。その圧倒的な世界観は、今も尚、私を捉えて離さない。


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「コーヒー&シガレッツ」粋で絶妙な裏切り [映画/DVD感想]

コーヒー&シガレッツ

コーヒー&シガレッツ

  • 出版社/メーカー: アスミック
  • 発売日: 2005/09/09
  • メディア: DVD

「コーヒー&シガレッツ」は2003年の作品だが、内容は過去に撮り溜めた短編集だ。最初に発表されたのは1986年と今から21年前。従って各短編集には時代時代の香りがあり、またその時に同時に撮っている長編作の雰囲気が漂っている。その辺りが同じ短編集でも「ナイト・オン・ザ・プラネット」の様な一つのテーマの中で作られた映画とは違うのだが、あたかも一つのストーリーの様な繋がりを持ってるのも事実であり不思議である。その原因はテーブルを真上から撮る不思議なカメラワークと選曲の素晴らしさ、そしてしばしば共通する話題(倍速の夢、医学と音楽、テスラコイル)にあると思う。そしてコーヒーカップで乾杯する間抜けな仕草。役柄が本人役がなのも共通だ。
 オープニングとエンディングは、キングスメンの「ルイ・ルイ」(IggyPopのカヴァー)。「アメリカン・グラフティ」の卒業パーティーのシーンでバンドがやたらカッコ良く唄ってたのが印象に残ってる曲だ。

 最初のエピソード「変な出会い」では「ダウン・バイ・ロー」で強烈な落ち着きの無さを見せたRobertoBenigniが登場。なぜかコーヒーを一人で5杯も頼み卓上に飲みかけで置いている。意味もなく手が振るえ、緊張しているがその理由は不明のまま、StevenWrightとちぐはぐな会話をする様を描く。「幻覚」にも出て来る、コーヒーを飲むと夢が倍速になるというそんなバカな!話が出る。そして途中で席を交換した後、結局また交換して元に戻るシーンは大笑いした。そして歯医者の予約があるが行きたくないStevenWrightに対して、自分が暇だと替わって行く下りに至ってはもう呆れてしまう。StevenWrightの「微妙に」という捨てゼリフも良い。

 「双子」。「ミステリー・トレイン」で巨大な虫の置物を蝿叩きで叩こうとする仕草が笑えたベルボーイを演じたCinqueLeeが登場。JoinLeeと絶妙なコンビネーションを見せる。
同時に違う答えをするので聞き取れないSteveBuscemiの哀れさがウケる。そういえばプレスリー話は「ミステリー・トレイン」でも出てきたよな。

 「カリフォルニアのどこかで」。「ダウン・バイ・ロー」で首になった冴えないD.Jを演じたTomWaitsがIggyPopと仲が良いのか悪いのかギリギリの会話をする。ジュークボックスに曲が無いと言われたTomWaitsがホントにキレテしまうのかと思うほどほのぼのとした中に溢れる緊張感が良い。ここでは「幻覚」でも出て来る医学と音楽の共通性について言及している。途中からライト光線がバックのハワイアンと供にクルクル壁を回りだすのも二人には余りに場違いで間抜けだ。「煙草を止めたから安心して吸える」と禅問答の様なことを言いながら口の横から実にカッコ良く煙を吐き出すTomWaits。そしてラスト、一人店に残されて曲に合わせて手をユラユラするシーンが最高にキマってる。

 「それは命取り」。穏やかそうなお爺さん二人が、一体何回「ファッキン!」って言ってんだっていうぐらい罵り合う、でものどかな雰囲気っていうどこまでもちぐはぐな展開。全く喋らないで手話の様な仕草をする子供の前でも「ファッキン!ファッキン!」って・・・。でも内容が健康問題だから笑える。日本人を表す時目をつり上げて見せる子供が可愛い。

 「ルネ」。ReneeFrenchの名前そのものが題名になっている作品。ほとんど喋らないReneeFrenchの容姿や煙草を吸いコーヒーをかき回す仕草が最高にセクシー。なぜか見ている雑誌がガンカタログっていうアンバランスさ。まだ出るのか?もう1回ぐらい出るんじゃないかと期待させるE.J.Rodriguezのストーカー的しつこさは男として凄く共感。そこまでされてもカップを手で押さえて平然と帰らないReneeFrenchが図太い。

「問題なし」。冒頭の音楽、スカが効いてて最高にカッコ良い!アメリカの予告版はこの曲を使用しているのも頷ける。サイコロをふるなど卓上の仕草全てが物凄くキマって見えるのもこの曲があればこそだな。最後まで問題ない問題ないと言われればそりゃ気になるわ。

「いとこ同士」CateBlanchetの一人二役は全く気づかず。実に嫌らしくねちねち切り込むいとこのロッカーに事勿れ主義でニコニコ爽やかに対応する有名女優のあやふやなスレスレの会話が緊張感を盛り上げる。有名女優がいなくなった途端煙草を注意されるオチが良い。

「ジャック メグにテスラコイルを見せる」。喫茶店でそんな電磁波バリバリの実験見せられてもなぁ。丸目で驚く店員役CinqueLeeと大真面目なMegWhite、JackWhiteの対比が最高に笑える。冒頭、さりげなく店の片隅に地味に置いてあるテスラコイル(白黒だからゆえ目立たない)をなんとなく神経質そうに、気になってしかたないJack。一方、目を背けていかにも嫌で堪らないといった表情のMegがイイ。実験の始まるとゴーグルをかけたJackが実に活き活きした子供ような表情に変わるのが印象的だ。収支つまらなそうにしているMegが最後的確な意見を出すあたりが「なんだ、やっぱり好きなんじゃん」っていうオチを付けている。「地球は一つの共鳴伝導体」というテーマは最終話にも無意味に出て来る。

 「いとこ同士?」。家計図を見せ夢中になっているSteveCooganに終始引き気味だったAlfredMolinaが、自分のファンの人物がSteveCooganと知り合いだと知った途端、立場がコロっと逆転する瞬間が実にシュール。最後一人で「ドジった」と悔やむAlfredMolinaの姿が実に悲哀というか共感を呼ぶ。機嫌良かったSteveCooganの最後キレ気味な豹変振りが恐い。ああいうことは誰にもあるよな、社交辞令で会えて良かったとか言ってしまうけど電話番号とかは教えたくないなぁっていう関係って。凄い格好で現れた女性ファンも彼を天狗にしてしまった。こじれない様どう断るかは本当に難しい。このエピソードはその失敗の代表例だ。ちなみにこの話だけは紅茶だ。

「幻覚」。「ゴースト・ドッグ」で路上で主人公に突然メッセージを伝えるブラザー、RZAがGZAと供にコーヒーを飲んでいる所へ、最新作「ブロークン・フラワーズ」で日常は冴えないが旅先ではモテモテの中年を演じたBillMurrayがひょっこり現れる。コーヒーをポッドごとごくごく飲み、例の“倍速の夢”の話で、首をびゅんびゅん横に振るBillMurrayの仕草が可笑しい。またしても“医学と音楽の共通性”を語るRZA、咳が止まらないBillMurrayに洗剤でうがいしろといってずらかる二人の悪ガキぶりがウケる。うがいの音だけが最後聞こえるラストもイイ。

ラストエピソード「シャンパン」。最後を飾るに相応しいこの美しい作品は、偏にマーラーの「私はこの世に忘れられ」という曲の悲しいほどの美しさに尽きる。
唐突に「世間に置き去りにされた気分」と語るTaylorMead。その一言一言が胸にキュンと来る。だが慰めもせず淡々と煙草を巻くBillRice。その一見無関心そうな仕草の中にも同僚を気遣う暖かい感情が見え隠れする。紙コップの乾杯、聞こえない筈のマーラーにそっと耳を傾ける地下室の老人たち。酸いも甘いもかみ分けた人生の最後の幸福な一瞬を見事に描き出している。そしてラスト、居眠りしたTaylorMeadにそっと声をかけるBillRice。果たして眠っているのかひょっとして死んでしまったのか?謎を残したまま物語は静かに終わる。

 この映画は、“何か起こりそうなのに最後まで何も起きない可笑しさ”という「ストレンジャー・ザン・パラダイス」以来のジャームッシュ映画のテーマ”観客の期待を裏切る展開”が最高にカッコいい音楽と道具立てと仕草の中にぎゅーっと詰まった濃縮ジュースである。


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怪人より人間が怖い「マタンゴ」 [映画/DVD感想]

マタンゴ

マタンゴ

  • 出版社/メーカー: 東宝ビデオ
  • 発売日: 2003/12/25
  • メディア: DVD

今さら「マタンゴ」である。昭和38年の作品だから私の生まれる前だ。たがみよしひさ「軽井沢シンドローム」で盛んに名前が語られていて(登場人物の松沼純生の頭が似ているらしい) 以前から観たいと思いつつ機会を逃していたが、やっと観れた。
隔離された状況の中で、人々が疑心暗鬼にかられていく様は、「遊星からの物体X(1982)」に似てなくもない。しかし物体Xがホラーのくせに一人の女性も出てこないという極めて意欲的で斬新な内容なのに比べ(大体、SFホラーっていうと必然性もなく美人が出て来て金切り声をあげるもんだ)、「マタンゴ」は回想シーンも含め女性が一杯。特に女優:関口麻美役の水野久美の強気な眼差しと妖艶さがイイ。最後、手足がじわじわキノコ化した姿でなぜか顔や服はそのままというアンバランスな怪しさは圧巻である。彼女が唄う意味不明の歌詞も謎めいて滑稽である。
「水の溜まった石畳、アカシアの花、寂しく浮かんでいる。
 水の表を風が吹き抜けて、思い出をのせて揺れている」
特に“水の溜まった石畳”のフレーズは途中やラストにも繰り返し出てくる。なんのこっちゃ(爆)。

冒頭は、後ろ向き(なぜ後ろ向きかはラストで明かされる)の主人公、大学の先生役:村井研二が病室で語るシーン。窓の外のネオンはどこか近未来を思わせ、「ブレードランナー」の歓楽街のシーンを彷彿とさせる。重苦しい雰囲気から突然、青い海と白いヨットが駆ける眩しい世界が広がるオープニングのギャップは見事だ。円谷で東宝というとどうみても怪獣映画のノリの筈だが、ウクレレなんて弾いてどうみても若大将シリーズだ(爆)。金持ちのボンボンがヨットで遊ぶ様を皮肉る雇われ船員たちのボヤキは「太陽がいっぱい」で主人公たちを見てぼやく港の老人たちを思い出させた。また穏やかな海が一変強風になる展開も似ている。
かくして嵐に巻き込まれた一行は謎の島に漂着。そこで座礁した難破船(この難破船のボロボロ具合はなかなか見事)に遭遇。それが実は実験船(またはスパイ船)で、船長室の惨状や航海日誌、巨大キノコから謎が除々に明かされるシーンはやはり物体Xの、ノルウェー南極基地での自殺死体や記録ビデオ、エイリアンの標本から謎か解明されていくシーンとよく似ている。まあ恐怖映画の導入部はみんなそんなもんか(笑)。そして原水爆実験の放射能で変異した生物、もうこれはゴジラの世界だ。しかし怪獣が出てくる訳ではない。出て来るのはキノコ人間(笑)。恐い恐いっていうけど所詮、キノコだからなぁ(爆)。菌だもん。しかもこのキノコ人間、弱い。武器は特に無いし、腕はもげるし、ライフルで簡単に倒れます。主食はキノコ(マタンゴとはこのキノコの名前。共食いか。)のくせに意味もなく人間を襲うが、別にどうするわけでもない。本当に恐ろしいのは極限状態の中で食料を奪い合う人間の方。女性も体張った様々な駆け引きが展開。最後には「流されて」よろしく、主従を逆転した暴力による支配が待っている。

マタンゴを食べると除々にキノコ人間になるわけだが、キノコ化には段階があるのが面白い。丁度、「ザ・フライ」で主人公が除々にハエ化していくのに似ている。
第一段階:気持ち良くなる。幻覚が見え、ふわふわした気分に。マジックマッシュルームみたいなもんか?
第二段階:手足に菌糸の様なものが生えて、徐々にキノコ化。男性は顔にも湿疹状のキノコが出来る。まだ思考能力があり、言葉も喋れる。
第三段階:顔の輪郭が判らないほどキノコ化。しかしまだ人間の形状を保っている。もう言葉は喋れず、夜中や雨の日にはウッウッと唸りながら意味もなく難破船まで押し掛けて人間を襲ってさらう。まだキノコを食べている。
第四段階:完全にキノコ化。たくさんのキノコの集合体と化し、シメジかマイタケの様。しかしまだ手足があり歩ける。鳴き声はバルタン星人そのもの(でもこちらの方が本家)。森から出ずに集団で暮らし、エリア内に来た人間に襲いかかる。でもなんかユーモラス。
第五段階:ただの巨大なキノコになる(らしい)。もはや動けない。

正義漢面した艇長が最後裏切る展開はドンデンだ。また関口麻美と対照的である、純な主人公の恋人である学生(教え子に手を付けるな!):相馬明子が、最後キノコを食べながら恍惚とした表情で「先生~」と呼びかけるシーンは怖い!

そしてラスト(ネタバレで申し訳ない)、主人公が振り向くと顔にキノコが!!食べてないのになぜ?キノコ人間に抱きつかれたからか?それとも菌糸を吸い込んだ?やはり本人も無意識のうちに食べていたということなのだろうか?このラストシーンも秀逸である。
「ガス人間」同様、当時盛んに作られた怪奇映画の類であるが登場人物のシリアスな人間ドラマが、この作品を単なるB級ホラー以上のものにしてくれている。

軽井沢シンドローム (9)

軽井沢シンドローム (9)

  • 作者: たがみ よしひさ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1985/12
  • メディア: 単行本

遊星からの物体X

遊星からの物体X

  • 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
  • 発売日: 2006/09/21
  • メディア: DVD
 
ブレードランナー 最終版

ブレードランナー 最終版

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2002/07/05
  • メディア: DVD
 
太陽がいっぱい

太陽がいっぱい

  • 出版社/メーカー: パイオニアLDC
  • 発売日: 2002/10/25
  • メディア: DVD
  • ハワイの若大将

    ハワイの若大将

    • 出版社/メーカー: 東宝
    • 発売日: 2005/06/24
    • メディア: DVD
ゴジラ

ゴジラ

  • 出版社/メーカー: 東宝ビデオ
  • 発売日: 2001/02/21
  • メディア: DVD
流されて…

流されて…

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2003/11/27
  • メディア: DVD
 
ザ・フライ (特別編)

ザ・フライ (特別編)

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2007/01/26
  • メディア: DVD
ガス人間第1号

ガス人間第1号

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2007/02/23
  • メディア: DVD

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中途半端な低俗「西遊記」 [映画/DVD感想]

西遊記DVD-BOX また自分の趣味じゃない映画をしがらみで観に行ってしまいました(爆)。
アクションも特撮もお笑いもキャストも美術も筋立ても全て中途半端。
夏休みなのにガラガラだったなぁ。超満員御礼のポケモンやハリーポッターと張り合って勝てるわけないが、せめて世代の特定はした方が良かったのに。子供向けにしてはいまいちハッチャケてない。若者向けにしては恋愛のソースもない。淡い少女のほのかな思いとか、今更の孫悟空と三蔵法師の師弟愛とかじゃね。いくら香取がわめく演技を連発しても”なまか”を繰り返しても臭さは否めない。中年向けにしては夏目雅子に勝てるわけもない。誰もお亡くなりになった伝説には太刀打ちできないしね。アクションは地味なウッチャンが一番良かったんじゃないかな(ちょっと別の映画入ってるが)。電車男は泣いてるだけだし、香取はホント下手だしね。一番強いのは多分老師だ。
良かったシーンと言えば筋斗雲での銀閣大王空中追撃場面ぐらいかね。あれはなかなか爽快というかスカッとするよ。あのシーンはBGMも良いし中国の壮大な空撮風景も映えて、よくできてると思う。
堺正章の孫悟空の時はもっと妖術、分身の術とかあった気がする。体力技が増えたのも時代を感じさせる。如意棒の延び方も比べると中途半端だ。というわけで僕らの世代はどうしても夏目雅子の西遊記と比べてしまう。これはリメイクの宿命だが深津絵里もその辺は悟空への叱り方など凄く意識してる。
ストーリーがだらだらして無意味に長い。子供は途中で飽きるよ、絶対。
脇役の意外性は結構楽しめる。王様の三谷幸喜とかね。岸谷五朗も相変わらず飄々としていて良い(迫力は全くないが)。
劇中に出て来る端役のにせ三蔵法師一行(この4人はホントにうまい配役だと思う)に主役をやらせた方がずっと興行成績は良いに違いない。
 
 

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「六ヶ所村ラプソディー」ともあれ真理は語られている [映画/DVD感想]

 http://rokkasho.ameblo.jp/

  「ヒバクシャ」の時http://blog.so-net.ne.jp/hanarezaru_bibi/2005-12-04 も書いたが鎌仲ひとみ氏の映画はなぜか眠い。今回も狭いスペースと満員御礼で酸欠状態の中、せっかく読みやすく改善された字幕も人の頭で良く見えず、おまけに上映中トイレに立つオバサンに思いっ切り足を踏まれたにも関わらず、眠気を押さえることはできなかった。何が悪いのか?やっぱりスローテンポだなぁ。音楽も殆ど無いし。津軽三味線は良かったけど使い方が効果的じゃないんだよなぁ。あと、やっぱりあの笑いながらのインタビューはやめて欲しい。プルトニウムの緊迫感がゼロになっちゃうんだよなぁ。まるで野菜の話をしてるみたい何だもん。劇中で紹介された「泊は負けてねぇ!」のノリでやったら迫力があったのに。やはり機動隊と衝突というのは時代遅れなのか。
 映画が終わった後のトークショーで言ってた能登原発{鎌仲氏は富山県氷見市(氷見線で有名な氷見市は古代、布勢水海のあった素晴らしい所だ!)出身だそうな}の話も以前http://blog.so-net.ne.jp/hanarezaru_bibi/2007-03-27 で私も書いた朝日新聞のネタだもん。情報内容が一般人と変わりないわけで、もっと報道されないレアなネタを聞きたかった。そして終わった後の露骨な寄付宣伝も、引く。なんかパワーあり過ぎでやっぱり大根売ってるみたいで・・・。言ってることはすばらしいんだけど深刻さが感じられない。六ヶ所村の当事者たちの映像が深刻さを増せば増すほど、鎌仲さんの笑いがよそ者の傍観者ぶりを際立たせてしまう。つい金儲けのためにやってるのでは?って勘ぐってしまうほど金銭欲求がストレート過ぎる。ああいう行動にお金を出す企業はいないだろうから気持ちは十分理解できるのだが。
 もし坂本龍一が観ていなかったら今回は見送ったかもしれない。さすが坂本氏、映画では全く語られなかった、縄文人のことについてパンフレットでふれていた。私も小川原湖周辺に栄えて現在は殆ど省みられない縄文人・アイヌ人・蝦夷の多く遺跡について考えていた。貧しいだの過疎だの言われる六ヶ所だが、古代では決して貧しい土地ではなかったのだ。それは今も変わらないはずだ。本当に貧しいのは、貧しくしてるのは、東京にばかり、アメリカにばかり顔を向けている人々の心ではないか?本当なら豊かな漁場と良港に恵まれ、中国や資源大国ロシアにも近い青森県は交通や経済の要衝になってもおかしくないのだ。ブッシュ大統領は腹痛でサミットを早引け(親ブッシュも吐いたんだよな。親子そろってどうしようもないな)。米国の時代は終焉を迎えようとしている今、明日は六ヶ所が注目されてもおかしくない時代なのに、とんまな政府の甘言にのって札びらで頬ひぱったかれて、漁業権や子供たちの明るい健康的な未来まで売ってしまうとは、全く何たる愚行だろう。もうこれで核燃料再処理工場を撤去しない限り、六ヶ所村のあらゆる可能性は絶たれてしまった。
 核燃料再処理工場を支持するクリーニング屋店長の言葉が耳に残った。「だって今電気があって当たり前じゃないですか。自動車があって当然、飛行機があって当たり前。この当たり前の物がなくなったときにどうなるんだろうと。」ちょっと待った!プルトニウムで自動車は走らないし、飛行機も飛ばないぞ!いくら言っても原子力を石油の代替えエネルギーと思い込んでるバカがいて困る。やっぱり鉄腕アトムがジェット噴射で飛んでた影響があるのか?もう何度も書いてるが原子力は逆立ちしても電気しか生まないのだ。ウランを燃やして走るような、核爆弾以外の何かの燃料になったりしないのだ!少なくとも石油がこの世から消えれば、原子力発電所も核燃料再処理工場も高速増殖炉(もともとストップしたままだが)も全てストップせざるをえない。使用済核燃料を積んだトラックも貨物船も動かない。プラスチック等建材も多くが消滅してしまう。おまけにウランも石油と同じ様にいずれ掘り尽くされてしまう。埋蔵量はそれほど多くないしもちろん日本にはない。放射性廃棄物がプルトニウムに変わるのはごく一部だから、いずれウランが枯渇すればプルトニウムを用いた原子力発電も終わりだ。にも関わらず石油社会に変わる原子力社会がやって来るなどという幻想が何時までたっても頭をもたげるのは一体どういうわけだろう。こんな危険な想いをしてプルトニウムを抽出して何をやるかといえば、お湯を沸かすだけだ!その蒸気でタービンを回す。たったそれだけの為に100万年も危険な毒物を管理し続けなければならないのだ。お湯を沸かすだけなら地熱でもできよう。タービンを回すだけなら風車でもできよう。何もプルトニウムなどという、かつて多くの日本人の命を奪った恐ろしい兵器の燃料を使う必要がどこにあるのだ?
 イギリス・セラフィールドの取材は良かった。放射能漏れの話は殆ど既知の事柄だったが、やはり生の映像は迫力がある。再処理の大部分はフランスだから是非、ラ・アーグ再処理工場にも行って欲しかった。
 原子力専攻の東大教授の「原子力発電所は凄い儲かっているんでしょうね」という憶測発言は余りに無責任過ぎる。原子力発電所は建てて発電して終わりではない。廃棄物の再処理を安全に実施するのも、高速増殖炉を運転を実現させるのも、廃棄物を地下に埋設し気が遠くなる様な時間管理するのも、臨界事故等トラブル発生時の想定コストも、原子炉の寿命による解体も、既に莫大な費用がかかっており、しかも将来最終的にいくらかかるか誰にもわからない未完のプロセスである。それに対して儲かってるんでしょうねもないもんだ。結局、足が出た際のツケは全部国民に回ってくる。原子力発電は「結局、金」ではないのだ。最終目標はあくまで軍事目的であり、何がなんでも再処理へ突き進むその答えは”核”にある。この映画はそのことにふれていない。
 前出のクリーニング店長が「一番電気を使ってるのは東京じゃないか」と吐き捨てる様に言っていた(それに対し鎌仲氏は「いやぁここも使ってるんじゃないですか?」と苦笑いしながら応えていた)。映画監督の土本典昭氏も劇中「東京湾に作ればいいんだ」と言っていたが、私も安全だというなら是非そうすべきだと思う。それができないのはやはり危険だからではないか。だとすると東京の人間は死んだらマズイが、六ヶ所村の人間は死んでも良いというのは余りに自己中心的且つ、他者軽視的な考えだ。なんと言っても自己中の塊のような男が都知事として大人気なんだから推して知るべしである。石原はオリンピックなんて誘致しないで核燃料再処理工場を誘致すべきだろう。東京にはその責任がある。

 6/3(日)千歳烏山「すぺーす楽多」  にて


 

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幻のウルトラセブン第十二話を見た [映画/DVD感想]

先日、本屋で安藤健二著「封印作品の謎」という本が目についてパラパラと立ち読み(ごめんなさい)したところ、私の大好きなウルトラセブンの第12話が世間から抹殺され、あたかも元々無かったかの様な扱いを受けていることを知り、慌てて家に帰ってひし美ゆり子著「セブンセブンセブン-アンヌ再び・・・」を読み返すと各話の撮影エピソードをひし美ゆり子が綴った部分でさりげなく11話から13話に番号が飛んでいた。そしてその頁の巻末に非常に小さな字で「*第十ニ話は欠番です」と書いてあった。今の今まで気がつかなかった!情けないやら恥ずかしいやら。

年齢的にダイレクトでは見れていないし、当時はビデオデッキもないし、1970年以降再放送もビデオも十二話は抹消済みで放映されないから、今まではブラックマーケット以外存在に触れる機会が失われて来た訳だが、今やYouTubeで簡単に視聴できるという恐ろしい時代がやって来ました。

http://www.youtube.com/results?search_query=ULTRA+SEVEN&search=Search

なんでも第12話「遊星より愛をこめて」では爆弾実験で放射能に汚染された星からやって来たスペル星人が、その治療のため地球人の血液を集めるという話で、放送当時は全く問題にならなかったのに、それから2年経って小学館「小学二年生」の怪獣カードに”ひばくせい人”と紹介されたことから、スペル星人が実は、被爆者の姿をモチーフにして体にケロイド状のものを付けているとか顔が焼け爛れた後の様にのっぺりしているとかが問題視され「被爆者もついに怪獣扱いか!」と抗議が殺到し、円谷プロが謝罪、非公開にしたという経緯らしい。

さて問題の映像だが、スペル星人のデザインはどうみてもケロイドには見えないし、顔も被爆者を発想させるものではない。まあなんつーか全体的に白くて顔はウーパールーパーみたいな感じ?弱そう(爆)。それにしても宇宙人って複数居ても、なんでみんな最後に一人だけ巨大化して肉弾戦に持ち込むのでしょうか?(爆)。それまでの頭脳作戦が全く無意味に思えてくるし、どうせなら全員で巨大化して一斉に飛び掛ればセブンも敵うまい(笑)。

実相寺監督の意図は原爆反対、戦争反対にもあったんだろうが、もともとウルトラセブンは単純な完全懲悪ドラマではなく、沖縄の問題(薩摩藩の支配、沖縄戦、基地問題等本土の犠牲になってきたこと)を絡ませた第42話「ノンマルトの使者」、行過ぎた機械文明への警鐘を描いた第43話「第四惑星の悪夢」など社会問題をSFの形を借りて表現したものが多く、それが子供のみならず大人にも支持される理由なのだから第12話一つだけを抹殺してしまうのは納得がいかない。小学館も「吸血星人」とでもしておけば誰も問題視しなかったのに、バカだなぁ。

スペル星人の基地って快獣ブースカで出てきた世田谷区の砧付近にあった変な丸窓のいっぱい付いたビルだよな。昔良く目に付いた。そして驚いたのは、スペル星人の時計に血を吸われるアンヌ隊員の友人役がなんとウルトラマンのフジアキコこと桜井浩子なんですねぇ。1967年『颱風とざくろ』での共演について「セブンセブンセブン-アンヌ再び・・・」では1967年『颱風とざくろ』での共演について「ウルトラシリーズの紅一点として、何かにつけて比較されてきた二人は、映画の世界で初めて出会いました」と書いていましたが、実はここでも共演してたんですねぇ。

作品自体の出来不出来や差別問題については、作り手が強制的に見る機会を奪うのではなく、見た人の判断に委ねて議論されていくべきだったのでは?

封印作品の謎

封印作品の謎

  • 作者: 安藤 健二
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 単行本

 

※セブン以外の話は興味がなかったので買ってません。ごめんなさい。みなさん買って下さい。

 

セブンセブンセブン―アンヌ再び…

セブンセブンセブン―アンヌ再び…

  • 作者: ひし美 ゆり子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 文庫

※アンヌ隊員はとにかく凄い酒豪だったという内容です(爆)。

ひし美ゆり子も、1.友人が勝手に応募してデビュー→2.厳しい父の反対を押し切って上京→3.世間に出さない約束で撮ったヌードを記者が勝手に掲載、とまあここまで言い訳が白々しいと呆れて返って許せてしまう芸能人の王道を行っています。

 

DVD ウルトラセブン Vol.11

DVD ウルトラセブン Vol.11

  • 出版社/メーカー: ハピネット
  • 発売日: 1999/10/25
  • メディア: DVD

 ※42話、43話を収録

「第四惑星の悪夢」は怪獣も巨大宇宙人も一匹も出て来ない異色作で、機械人間の何かを噛む様なコリッ、コリッという音が子供心に非常に恐かった、私の中のセブン最高傑作。


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素材が台無し「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」 [映画/DVD感想]

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版

  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2006/07/26
  • メディア: DVD


 題名もいい。世界観もいい。音楽もいい。浅野の起用もいい。だがこの眠さはどうだ。
 2015年、感染すると自殺したくなるという「レミング病」が大流行する世界、浅野忠信扮するミュージシャンの奏でる音が唯一の治療薬であった・・・。おお!なんかこのストーリーを聞いただけでもSF魂をワクワクさせる内容ではないか。オープニングの、赤茶けた荒廃した砂浜(釧路らしい)にガスマスクを付けた二人が、無残な自殺死体が横たわるテント等を巡って音をサンプリングするシーンは実に格好いい。ジャズっぽいサックスの効いたBGMもいいし、赤い砂漠や風車のオブジェは、「ゼイラム2」のオープニングのシーンを彷彿とさせどこか別の惑星の様な、近未来のイメージを増幅させる。疫病で死滅した世界の調査をする二人はまるで「12モンキーズ」のブルース・ウィリスのよう。YMOの「BGM」や「テクノデリック」、アート・オブ・ノイズに代表される80年代に一世風靡した雑音を集めて芸術化したサンプリング音楽が、「レミング病」の特効薬の正体か?と期待を抱かせる。
 ところが、実際の音はというと「エレクトリック・ドラゴン80000V」張りのエレキがギュルンギュルンいう単なる騒音なのである。ねえねえせっかくサンプリンングしたノイズ群は全然聞こえないよ~意味ないじゃん、と思わずツッコミを入れたくなる音のうるささ。おまけに途中から風景も妙にのどかになり、緊迫感が盛り下がっていく。他の脇役は全てミスキャストでテレビでよく出る俳優たちだけにイメージがダブって感情移入できない。宮崎あおいなんてアヒルと暮してるイメージしかないよ(爆)。FM東京が協賛のためか、ラジオ放送に注目するが近未来のイメージに合わない。そもそも今時、音楽が世界を救う、なんていうコンセプトが古いだろう。生物兵器など匂わせつつも「レミング病」の謎の掘り下げも中途半端で終わってしまい。現代の3万人自殺社会への警鐘にすらなっていない。
 最後、浅野が宮崎あおいの病気を治すためギターをかき鳴らすシーンもヘビメタのアーティストみたいで全然まぬけ。浅野を真面目に使い過ぎ。もっと飄々したとぼけたぬぼーとした味わいを出さないと、ただかっこいいだけの浅野忠信を出されても黄色い歓声を放つ馬鹿な女性ファンはいいかもしれないが我々男性はちっとも面白くないぞ。回想シーンで出てくる浅野の昔の彼女(レミング病で死ぬ)も彼女自身の謎めいた妖艶な魅力は良いと思うが浅野には不似合い。そもそも浅野の相棒も彼女もペンションのオーナーも浅野自身も宮崎あおいも性格描写が全く希薄で人物設定が全く見えてこない。ストーリー等設定の良さに溺れて人間を描くこと忘れてしまった駄作の典型だ。
 ラストシーンもただ浅野の部屋を映してるだけで捻りもない。誰か突然自殺しても、ああ病気のせいか、で何の秘密めいた衝撃もない。そもそも感情移入ができないから悲しみも同情も湧かない。
音を延々と編集するシーンなどとにかく無意味なシーンが多過ぎて眠気を誘う。
せっかく素晴らしい食材を持っているだけにそれを活かせずコロしてしまったことが実にもったいない、残念な映画だった。

ゼイラム2

ゼイラム2

  • 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
  • 発売日: 2003/08/22
  • メディア: DVD


12モンキーズ

12モンキーズ

  • 出版社/メーカー: 松竹
  • 発売日: 2006/12/22
  • メディア: DVD


エレクトリック・ドラゴン 80000V スペシャル・エディション

エレクトリック・ドラゴン 80000V スペシャル・エディション

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2002/02/22
  • メディア: DVD


BGM

BGM

  • アーティスト: YMO
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2003/01/22
  • メディア: CD


テクノデリック

テクノデリック

  • アーティスト: YMO
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2003/01/22
  • メディア: CD


誰がアート・オブ・ノイズを・・・

誰がアート・オブ・ノイズを・・・

  • アーティスト: アート・オブ・ノイズ
  • 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1999/12/01
  • メディア: CD



インビジブル・サイレンス - アート・オブ・ノイズ
http://music.goo.ne.jp/artist/artistcd.php?id=176611-1
発売日 - 1992年2月21日
発売元 - ポニーキャニオン
品番 - PCCY-00317
盤種 - CD


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東京をぶっ壊せ!痛快「東京ゾンビ」 [映画/DVD感想]

東京ゾンビ

東京ゾンビ

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2006/07/28
  • メディア: DVD


面白いよ!東京ゾンビ。
なんたって 浅野忠信, 哀川翔という私好みのコンビ、それだけでワクワクさせる。ダラタタダラタタという音楽も非常に耳に残ってしまった。東京の巨大なゴミ捨て場「黒富士」より湧き出すゾンビを二人が柔術を使って倒すという奇想天外なストーリーも良いではないか。東京のド真ん中に富士山というと江戸時代の富士山信仰を彷彿とさせる。そういえば黒富士はなんとなく品川神社の富士塚を思い起こさせるではないか。あれも都会の真ん中に八号目とか書いてある小型富士山のミニチュアがあってかなり笑える。いや、絶対影響受けてるね。
 禿げの哀川、アフロの浅野の出で立ちととぼけた会話が最高に可笑しい。黒富士で行われる殺戮シーンのブラックユーモアーはかなりグロいが、根がチープなだけに残酷さはそれほど感じられない。またそのチープ感も映画自体を決してショボくしているのではなく、例えば黒富士そびえる東京の風景など、むしろB級映画の粋な味わいを醸し出している。
哀川、浅野の掛け合いは、例えばゾンビ群から命からがら逃げた後、車のキー忘れたと言って戻り実はキーは車に差さったままだったあたりのシーンとか、北へ行けと言われて熱海へ行ってしまうシーンは、完全に昔懐かしいコントの世界だ。言わば喜劇の原点だろう。浅野の徹底したバカぶりと得意のキレた言動、哀川の何をされても許す頼れる兄貴振りというよりお人好し振り、無茶苦茶な理論付けでなぜか浅野が納得させられてしまう問答無用振りが良い。眠れなければ「目をセロテープで貼れば確実に寝れる」と言われ、「頭イイね兄ちゃん」じゃねぇーだろう!違うよそこ!って思わずツッコミを入れたくなるほど嬉しいやり取りだ。何より二人の笑顔が良い。殺伐とした内容なのになぜか全体的に暖かく感じるのは、金とか利害とか全く無縁な互いの人間味溢れる信頼関係だろう。とにかく余計な説明が一切ないのが良い。なぜ二人が柔術の練習をしているのか、なぜ黒富士の死体が放置されているのか、全くきちんとした説明がないそのナンセンス振り、圧巻である。
最後、親子で颯爽とサイドカーに乗ってるラストシーンも単純に格好良いではないか?哀川が実は死んでいなかったというハッピーエンドも嬉しい。
敢えて穴を探すとしたら哀川がゾンビに噛まれたシーンで先の展開、つまり人間浅野とゾンビ哀川
が柔術で師弟対決するという展開が読めてしまうところかな。まあゾンビが入れ歯だったのはわからなかったので良しとしよう。奥田恵梨華もミスキャストかな。もっと肉感的な女優さんの方が役にはイイですね。爽やか過ぎ、痩せ過ぎです。浅野との情愛が全く感じられません。
まあでもね総合的に見てお勧めな映画ですよ、これは。なんというか、この暗い世相、例え何が起きてもこの二人を見てれば「全然たいしたことないじゃん?」って思えてしまうだけでも。

折りしも築地市場の有明移転に伴う土壌汚染が問題となっている昨今。あそこは黒富士に勝るとも劣らないゴミ捨て場だったからね~。もうすぐ都知事選、都庁に巣食う傲慢な石原ゾンビの首を誰か吹っ飛ばしてくれや!


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「不都合な真実」地球を救う為でなく心の準備の為に [映画/DVD感想]

http://www.climatecrisis.net/
http://www.futsugou.jp/

 

   これはアメリカ人が作ったアメリカ人のための映画である。我々日本人は常に、米国は何でも世界の最先端を行ってる、と思っている。しかしこの映画を観るとアメリカ人の環境対策の認識の遅れ、環境対策規準のレベルの低さに驚く。日本やヨーロッパはおろか中国より排ガス規制が低いとは!アメリカがいかに車社会であり、車に頼りきって生きているとはいえ、アメリカの最先端の科学技術を持ってすれば、ゴアの全国行脚を待つまでもなく地球温暖化が抜き差しならない状態まで切迫していることは容易に想像が着く筈なのに・・・。

   1980年代、私はロサンゼルスに行って驚いた。あれだけの巨大都市に電車が一本も走っていないとは!しかもタクシーやバスなどの公共交通機関は危険だから利用するなと言われ、一般層は正に一人一台の割合でフリーウェイを大型車で走り回り、車が無ければどこにも行けなかった。最近やっとロサンゼルスにも地下鉄ができたらしいが・・・。 アメリカの状況は日本とは余りに異なる。彼らは”わかっちゃいるけどやめられない”。一度手に入れた快適極まる贅沢な暮らしを捨てられないのだ。それはモルジブが沈もうと北極グマが絶滅しようと「アメリカさえ大丈夫ならOK!!!」という認識だった、少なくともカトリーナが来るまでは・・・。

   しかしアメリカは世界と孤立しているわけではない。アメリカは地球とは別の惑星に存在しているわけでもない。地球が滅びればアメリカも滅びる。映画の最後に地球と金の延べ棒を天秤にかけた絵が出てきて、「よく経済発展を取るか環境規制を取るかといった話があるが、この絵は根本的に間違っている」とゴアは説く。曰く、地球に住むことができなければ経済発展も有り得ない、ということだ。 

   この映画は、頑固なアメリカ人の環境規制に対する強固でヒステリックな反対を避け、できるだけ穏やかに説得するため、時折ジョークを交え決して堅苦しくないフレンドリーな内容に仕上がっているが、ともすれば詰めが甘くなってしまっている。我々にとって言われているほど映像はショッキングなものではない。以前からNHKのドキュメンタリーなどで盛んに放送されているものより甘い。例えば、白熊が氷のない北極海を泳ぐシーンは実写が使われていない。CO2濃度がかつてないほど上昇し、過去のCO2濃度と気温の変化の一致を示したグラフはかなり説得力のあるシーンだが、現在のC02濃度、そして未来のCO2濃度の予測数値を挙げておきながらそれに伴う、気温の予測数値をグラフで示していない。北極海の氷が解け水温が上昇し塩分濃度が薄まることによって海流の流れが変わり、世界の気候に影響を与えることを説明しておきながら、「海流の流れがどう変わるかは未知数です」と締めくくった。はっきり海流の流れがこう変わる、若しくは海流が止まり気候がこう変わる、とまで具体的に示しても良かった筈なのに・・・。

   しかし少なくともゴアは命がけでやっていると思う。大袈裟ではなく暗殺されてもおかしくないほど様々な妨害を受けていると思う。そしてゴアはとてもいい人です。今日も日本テレビ「世界一受けたい授業!!」で くりぃむしちゅー有田の下らないボケにも笑ってお礼を言っていた。元副大統領が日本のいちコメディアンにだぜ!!その謙虚さには恐れ入ったよ!!

   疑惑の選挙によるゴアの個人的なブッシュへの恨みもやや鼻につくが、それがゴアの活動エネルギーの原動力になっている。この映画は全てのアメリカ人に向けた映画ではなくブッシュ大統領とその支持派、取り巻きである石油業界に向けての映画なのだ。アメリカ人も全てがバカではない。ロハスに代表される様に温暖化対策に前向きな人もたくさんいる。ゴアも示す様に州単位で環境規制は既に始まっている。しかしアメリカを世界を牛耳っているのは、例え温暖化で地球環境が破壊しようと知ったことではない、恐らくその頃には自分たちは生きていないか、例え生きていても浴びる様な資金を使って安全な場所に暮せる人々だ。彼らこそが世界を滅ぼし自分たちは安全な隠れ家でのうのうと生きていける奴らだ。その手下は日本にも存在する。環境に優しい自然エネルギーの発展を何かと阻止する奴ら。風力発電は天然記念物の鷲を絶滅させるだの強風で風車が倒れれば日本の環境には不向きだと言い出す。燃料電池は熱効率が悪いから「水素社会は当分来ない」などど地球環境産業技術研究機構 茅陽一副理事長 がもっともらしく日経新聞にコラムを載せる。廃材によるバイオエタノール製造に至っては露骨に石油元売業界が難色を示した。彼らは自分達の儲けのことしか頭になく、自分達の利益を邪魔することがあれば例え地球の存亡が関わっていようと金に目の眩んだ科学者を総動員してでもそれを阻止しようとするだろう。だからこの映画がアメリカ人向けではあるが、日本人にとっても対岸の火事ではないのだ。毎日報道されるニュースの中にある、石油メジャーに代表される欲に目の眩んだ悪魔どもの流した嘘と、彼らにとっての「不都合な真実」をきっちり見極めなければならないのだ。

   映画の中でトヨタやホンダの環境対策の進んだ日本車が褒められているからと言って安心してはいけない。日本は京都議定書の温暖化ガスの削減目標を守れていない。排出量は減るどころか逆に増えてしまっている。政府の環境対策の掛け声もぬるい。エコドライブを心がけましょう、とは言うが車になるべく乗らない様にしましょう、とは言えない。自動車業界から莫大な政治献金・税金を貰っているからだ。企業の売り上げに影響する様なことは国は決して口にしない。正にゴアの言う通り日本でも温暖化対策は「政治の問題」なのだ。ゴアは呼びかける、「なるべく公共の交通機関を利用しましょう。そして車を使わずになるべく自転車や徒歩を心がけましょう」と・・・。  

  もちろんゴアも甘い。講演には飛行機や車を使い、パソコンや大型スクリーンなど大量の電気を使いエネルギーを消費している。新しい電気効率の製品に買いかえろとは呼びかけるが、深夜までテレビを見るのはやめましょうとか、深夜までインターネットで電力を浪費するのはやめましょうとまでは言わない。しかし実際にはそこまでしてももう遅すぎるくらいだ。

  私は車を持ってないし殆ど乗らない。別に温暖化対策ではなく単に車が嫌いなだけだが、移動は全て徒歩と自転車と電車で行う。しかしそれは東京だからできることで地方に住んでいれば車に乗っただろう。そして電気は今夜もこうして無駄遣いしている。ゴミの分別だって100%とは言えない怪しいものだ。寒がりなので冷房の温度設定は高いが暖房の温度設定も高い(爆)。日本人の殆どはこうしてもはや大量エネルギーを消費する近代的生活からは抜けられない。ゴミの分別をする度に電源スイッチをこまめに消す度に、僕らは無力感に襲われ、ため息を着いてこう思う。「こんなことをしても無駄だ。こんなちっぽけな努力をしてもどうせ地球環境は救えない。」と・・・。そしてゴミの分別を、スイッチのチェックをやめてしまう。加えて多くの日本人はみな殺人的に忙しい。生活を変えるのはストレスが溜まるものだ。仕事でクタクタになって家に帰って来て、深夜や休日にまでゴミの分別だのエアコンの温度設定だの気にしてらんねーよ!!!と言う気持ちも痛いほどわかる。まして明日の命がかかっているアフリカなどの貧しい国の人々に対して「もう木を切るな!」とは言えない。結局我々は我々のできる範囲のことをするしかない。ストレスにならない程度に。一人一人違ってもよいから。それは何の役にも立たないかもしれない。いや恐らく立たないだろう。それでも我々の心の安定のために希望の灯は消さないでおこうではないか。そしてこの映画は観ることで、地球を救うことはできないけれども、我々が今後生きていく50年で何が起きるか、どんな破滅的災厄が自己や子孫に降りかかるか、少なくとも心の準備ができる、という意味でこの映画は一見の価値がある。ある日突然、竜巻で屋根が吹っ飛ばされても、世界的な食糧危機で食品価格が急騰しても、海水面が上昇し家が浸水しても、超大型台風で都市機能が麻痺しても、この映画を観ていればパニックを起こさずに済む。ましてアフリカなど貧しい地域に比べエネルギーを大量消費している日本人は、この事実をしっかりと直視する責任があると言えよう。

不都合な真実

不都合な真実

  • 作者: アル・ゴア
  • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
  • 発売日: 2007/01/06
  • メディア: 大型本

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今夜の駄作DVD観賞「ゼブラーマン」 [映画/DVD感想]

ゼブラーマン

ゼブラーマン

  • 出版社/メーカー: 東映
  • 発売日: 2004/08/06
  • メディア: DVD


どうせ下らないと思ってレンタルしないでいたが、やっぱりつまらなかった。
まず、主人公がミスキャスト。うだつの上がらない、情けない教師という役柄とは余りにも相反する哀川翔の格好良さ・迫力がいただけない。変身前の方が強そうだ(笑)。哀川翔は好きだし、別に哀川翔が何か悪いわけでもないのに可愛そう。
大体、そのキメゼリフ、なんか国語的に違和感あるなぁ(爆)。「俺の背中に立つんじゃねぇ!」じゃなくて「俺の後ろに・・・」だよねぇ?背中には立てないって(笑)。「背後に」ならわかるんだけど。
加えてなぜ主人公が超人的な強さを持つに至ったかがまるで説明されていない。「改造人間ではない」とうたっている以上、なんだ?宇宙人の超能力?じゃあなぜ主人公だけが?また、その宇宙人のしょぼいこと。金をかけないにもほどがある。お笑いなのかホラーなのかはっきりしない中途半端な姿勢が全てを台無しにしている。じゃあ子供向けなのかというと、やれ毛ジラミだの風俗だのととても子供の観賞に堪える健全なものでもない。あれじゃあいくらクドカンでもゴールデンにテレビ放映は無理だな。そもそもその科白を渡部篤郎みたいな二枚目に言わせてるのもミスキャストでしょう。全然合ってない。ホント、俳優は他にもイイ人がたくさん出てるのに全部ミスキャスト、勿体無い。
まあ、この映画の唯一の見所は、鈴木京香扮するゼブラーナースの若干SM風コスプレの胸の谷間ぐらいじゃないか?(体だけ吹き替えじゃないだろうな?)まだまだイケるぜ!鈴木京香!(爆)。
あと舞台挨拶で初めて見た山田玲司の実物とか。山田玲司!アンタはデブだ!(笑)ぶよぶよのオタクそのものじゃないスか。漫画は美化し過ぎだろ!地球の健康を嘆く前にその体なんとかしろ。
とにかく全体的に画面が暗くて良く見えん(爆)。
まあ3年前のDVDだからなぁ、当時と世相が違うし。いや、今のがもっと暗いか(笑)。
同じクドカン脚本でも名作「ピンポン」とは偉い違いだよなあ。
最近は、宮藤官九郎もすっかり落ち目だしなぁ。


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