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それでもいじめについて何か言っておきたかった [児童問題/少子化]

 いじめ、いや、いじめに関わらず全ての自殺は避難場所の有無の問題である。例えば職場でいじめがあったら会社を辞めれば良いが、家族がいるから辞められず、結果自殺するといった様に、避難場所が一箇所でもあれば自殺は起こらない。いじめられっ子は学校に行かなければいじめられないで済むが、親に怒られる等の理由でそれはできない。従って死以外に逃げる場所はないのである。最近のいじめに関する報道を見ていると自殺した子供の親は被害者で、先生や校長や教育委員会は加害者という構図がある様に見えるが、実際は両親も子供を自殺に追い込んだ加害者の一人である。
 私も小学校から高校までいじめられていた。小さい頃、いじめられたと親に訴ると、情けないと言って叱られた。自分の子供が負け犬であることが親は許せないものだ。体を鍛えろと言われ、サッカー教室に無意味に通わされた。一緒に入った友達は皆辞めても休まず1年間通ったが別に何も変わらなかった。学校に行きたくないと言えば、怠けるなと言って引きずってでも学校に連れていこうとした。自分の子供が社会のレールから外れることは(実際には人生に決まったレールなど存在しないのだが)、自分にとって死ぬよりも恥ずかしいことらしい。世間体が子供の命よりも大事なのである。大事なのは今の幸せであって20年後の未来など誰もわかりはしないにも関わらずだ。1回でもそういう事を言われれば子供は二度と親には相談しない。まして自立心が芽生える年頃なら親に頼ることは恥辱である。それは動物としての巣立ちの本能だから逆らえない。ともあれ自殺するまでにも子供の異変に気づかない親などいない。親は気づいているのだ。気づいても問題を処理するのがめんどくさいから見て見ぬ振りをして、なんとかなると楽観的に無意識に忘却しているだけだ。それは教室でのいじめをめんどくさいと見て見ぬ振りをする教師と変わりはない。
 いじめられっ子が大人しくて従順で真面目で優しくてと報道で聖人の様に扱われるのもどうかと思う。先天的に明るく活発な子供でもいじめが続けば萎縮して暗く無口な子供になるだろう。性格は後天的なもので環境が人を変える。また全てのケースに当てはまるわけではないが、いじめられっ子は過去、未来においていじめっ子になることも多い。私も小さい頃は女の子をいじめたこともあった。また、集団で誰かをいじめる仲間に加わったこともあった。しかし自分がいじめられる側に回ると元のいじめられっ子が今度は仲間と共に自分をいじめた。体育会系のクラブで起こるしごきの殆どはこの類だろう。先輩にいじめられた恨みつらみを三年生になって晴らす。これは社会に出ても続いていくことだ。いじめで苦しんでる子供に対して「辛い、苦しいのは今だけ」とか「長い人生の中で一瞬のこと」というのは凄く無責任な発言だ。いじめは一生の問題だ。例え社会に出てもパワハラやセクハラ、ドメスティックバイオレンスなど一生いじめに出会う可能性がある。
 いじめの素地とは何か。子供のそれは身体的特徴と言い切ってしまおう。身体者障害者ほどのハンディキャップはないが、何らかの身体的特徴の不利により最初から同じスタートに立てないにも関わらず、親や学校によって無理やり同じカリキュラムによる集団教育に乗せられてしまうことによるものだ。最も顕著な例が眼鏡だ。眼鏡はいじめの象徴である。いじめられっ子の代表、のび太も眼鏡をしている。最近、めがねっ娘、とか言って眼鏡をかけた女性が一部でもてはやされているが、あれも女性をいじめたいという気持ちの裏返しであろう。私も眼鏡がらみでよくいじめられた。私は乱視が酷いためハードコンタクトしか使えないのだが、過敏症ですぐものもらいができてしまうため眼鏡しか使えなかった。眼鏡はいじめの格好のアイテムである。取り上げられたり、壊されるなどからかいの道具としてもってこいであり、自分の弱点をさらけ出している様なものである。また、体育、特にバスケット・サッカーなどの球技はそのウィークポイント振りは極限に達する。眼鏡を外せばボールも味方も敵も見えない、眼鏡をかければぶつかった際危険だし、第一、教師が外させてしまう。ラグビーに至っては見学しているしかなかったので当然体育は酷い成績だった。教師は何の防護策も取らずに、ただカリキュラムを守ることしかしなかった。結果、眼鏡をしなければ見えない者にただ我慢を強いた。教師はとにかく問題を起こすのが恐いので、とかく事なかれ主義に走ってしまう。他の身体的特徴、例えば痩せていて筋肉が付きにくいとか、色白だとか、ちびでぶだとか契機は人それぞれだろうが。
 いじめられたらどうすれば良いか?体を鍛えて立ち向かえなんていうのは全くナンセンスである。クラス中を相手にできる程、筋肉を付けられる頃には卒業している。大体、いじめに会う人というのは何らかの身体的弱点により筋肉が付きにくいとか、運動に人一倍苦労が要る人が多いのだから無理に努力すればその苦痛と、なかなか伸展しないことで返って自信を無くし自殺に拍車をかけるかもしれない。私も高校の時体育会系のクラブに入って体を鍛えたが同じメニューをこなしても同期に比べて筋肉が付かず筋を痛めたり体を壊したりするばかりで、結局先輩からやめた方が良いといわれた。とにかくまず避難場所を作ることである。私の場合は図書室と文化系クラブの部室だった。もちろん、それらの避難場所を設定できない場合は天国を逃げ場所に選ぶようなら、登校拒否や家出を勧める。さすがにそこまでやれば事の重大さに親や教師もちったぁ気が付くだろう(いやそれでも無理かな?)。どうも日本人は、無様に生き続けるよりも潔く死ぬことを尊ぶ風潮があるから始末に悪い。人間は死ねばただの有機体であり醜い死体をさらすのみで美しい死など存在しない。生まれ変わりなど無論あり得ない。自殺は他人にとっては単なる迷惑行為でしかない。先日も人身事故で電車に40分も閉じ込められたが、ラッシュ時の自殺は本当に頭に来る。あんなことをしても誰も同情しないと思うが・・・。どうしても死にたいなら富士の樹海あたりで人知れずひっそり死んでもらいたい。派手な自殺やいじめっ子の名前を遺書に書くといった行動は加害者や社会への報復行為であり、憎しみによる愚行に過ぎない。自分の尊い命をそんな下らないことのために使ってはいけない。     
 また私の場合、休み時間や放課後は教室に極力いなかった。クラスメートを信用せずクラス内に友人はあまり作らなかった。どんなにいい人でも仕事が絡むと嫌な奴になってしまうのに似てるんじゃないか。友人は他の学年に作った。基本的にいじめられると卑屈になるので対人関係を上下でしか見れなくなる。同年令は敵なので対等の立場で見れないのだ。上下の人間関係の方がうまくいく。クラスの集団行動には、極力参加しなかった。いじめにおける学校の問題点とは「人間は生まれながらにして不平等であり、一人一人違って当然」という原則を無視した誤った集団教育にある。ましてあんな狭い教室に子供を大勢拘束して、不安・不満からいじめが発生しない方がおかしいくらいだ。そんな誤った教育に命をかけてまで従う必要はない。基本的に学校にさえ来ていれば、親も教師も大事にはしないものだ。だから朝が恐くてなかなかベッドから起き上がれず遅刻を繰り返しても学校には毎日行き続けた。授業中のいじめはなるべく前の列に座って大声を上げて大袈裟なジェスチャーで嫌がった。そうすれば自分もふざけていると叱られるが少なくともいじめは中断させることはできた。担任に相談することは、中学までは有効になるケースもあったが、ほとんど効果はなかった。少なくとも高校になったら100%何もしてくれない。しかしカウンセリングの様に、例えその者による救いが期待できなくても誰かに話すことは、精神的負担が軽くなるため重要である。もっとも最近の教師は相談内容をクラスの前でばらしてしまうとんでもない奴もいるそうなので相手は慎重に選ばねばならない。極力、自分のクラスに無関係の人間が好ましい。
 いじめにあったらとにかく逃げる。そしていじめの即効薬は、悲しいかな、いじめである。しかしそれでは憎しみの連鎖は止まらないし、最下層の者はどうしようもない。この問題は戦争への扱いと同じである。私はもちろん、故ジョン・レノンのイマジンの如く世界から戦争がなくなることを願っているが、人間は所詮、猿なので、その知性や理性に、それが達成できると思えるほど信頼をおけないのだ。会社がカジュアルデイを作っても客先に行く時は背広に着替える様に、日本だけが戦争を放棄しても世界から戦争がなくならなければやがて日本も自衛隊など持たざるを得なかった。悪質ないじめの根絶を目指すことはもちろん大事だが、近い将来なくなるものとは到底思えない。今まさに自ら命を絶たんとする子供がいるならを他の生き物をいじめること等でなんとか心の平静を保ってほしい。私も虫や植物によくあたった。近頃は自然が減って殺せる生き物もめっきり少なくなったことも大きな問題だ。また、真面目な話、いじめを自虐的快感に思えることも命を救う一つの対処法である。
 いずれにせよ、いじめに出会って大事なことは、変な被害者意識から自分を聖人君子と思わないことだと思う。人間は醜く、人生は汚れており、社会は卑劣なもの、そして自分もその一人だと自覚してこそ初めていじめに対し精神的に打ち勝ち、では自分はどうすべきか考える出発点に立てる。人間は誰しも生まれながら贖罪を背負って生きている。テレビや映画の様な一人で立ち向かう正義の主人公など気取ってはいけない。逃げる行為を臆病だの卑怯などと感じるのは間違っている。永い人類の歴史、人々は自然の驚異から逃げ続け、自分達だけのパラダイスである都市を築いてそこに逃げ込み、環境破壊により周辺の生物を殺戮してきた。日本がアメリカの軍事力に逆らえない様に、上には上がおり下には下がいる。部長だの社長だのお得意さまだの国家権力だのから全ての人間は一生逃げ続けている。「俺は俺のやり方で行く」なんて言って車を暴走しているのはCMの中だけだ(爆)。最近は、避難場所を隠れ家などと気取った呼び方をするが、なぜ家が目の前にあるのにいい年こいたサラリーマンが屋台や焼き鳥屋でメートルを上げているのか考えてみよう。それで命が救えるなら私は良いと思う。逃避は人間の宿業であり、逃げることは恥ずべきことではない。良き避難場所と無力だが無害な相談相手こそが自らの命を救うことになろう。
 私はなんとしても子供に死なないでもらいたい。子供同士のある程度のいじめは健全な精神によるもので、存在しても仕方のないことだと思う。むしろいじめはなかったと言い切る大人の方が、放射能漏れはなかったと言い切る原発の様に不健全であろう。本当のいじめは子供同士ではなく大人が子供をいじめることの連鎖から起きていることは明白だ。無論私の味わった些細ないじめなど今起きている壮絶ないじめに比べれば取るに足らない。しかし、この文章も矛盾だらけで無意味なものになっているが、例えどんな言葉を使っても、今、死のうしている全ての子供たちに生きていて欲しいと切に願う。どんなに首尾一貫としていなくても、格好悪くても、みっともなくてもなんでも生きてさえいれば忘却という素晴らしい人間の力でやり直せる時が必ず来ると思う。物凄い確率で生まれてきた奇跡を、社会の犠牲になって止めてしまうことだけはして欲しくないと思う。


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紀子さまご出産に見る”乖離” [児童問題/少子化]

 世間では、「紀子さま男児ご出産」で盛り上がっていることになっているらしい。それにしてもこういうニュース(特に慶事)があるとどうして、「頭がゆるそうに見えるオバサン」ばかりが、ニュースの街灯インタビューで放送されるのか不思議でならない。
 一点だけ、「これで景気が良くなって欲しい」というオバサンの感想は面白かった。あれ?景気って回復したんじゃなかったっけ?(爆)。政府のインチキ統計を全く無視したこのコメントは、実感なき好況を反映していて滑稽であった。
 本来、メディアというものは報道に公平でなければならないのに、どうも世論・大衆というものは画一的な同レベルの意見しか持たないと看做されがちだ。例えば、この件に関して、世間の雅子様に関する感想なんてものは、極力報道を避けているとしか思えない。巷では雅子さまは、皇后の器ではなかったなんて酷い意見も言う人もいる。一方で、これで男子出産の重圧から解放され(愛子様も皇位継承の重責から解放され)、病状も快方に向かうのではという見方もある。はたまた、いや皇室で、雅子さまの居場所が益々無くなるのでは?という見方もある。
 私は雅子さまは、この皇室の狂ったシステムの被害者としてとてもお気の毒であると思う。今時、男子以外は価値がないなんて、時代錯誤も甚だしい。いや、明治以前は女性の天皇もいらっしゃったのだから、時代錯誤以前、古代以前の発想だ。なぜこんな誤った法律が今のこの平等を掲げる民主主義国家日本でまかり通っているのか不思議でならない。
 少子化の昨今、日本の新しい人口が増えるのはなんにせよ喜ばしい(しかし皇族は、そもそも日本の人口統計に含まれているのでしょうか?よくわかりません。誰か教えて下さい)。しかし今回のご出産で、皇室典範の改正が何十年も伸びてしまったことは残念な思いである。
 それにしても今、日本でこれほどご誕生を待望された子供は、一体どの位いるだろうか。今や子供達にとって受難の時代。紀子さまは3人目をお産みになったというのに、世間では子供たちは、金がかかると邪魔者扱い。時に、しょちゅう虐待され、暴行され、惨殺され、もうどれがどの事件だかわからない有様。親は経済、安全面から子供を作らないか良くて一人が精一杯。世間と皇室の世界の乖離は、益々酷くなるばかりだ。
 かといってどんなに科学が発達しても出産は、命がけの行為であることに何ら変わりはない。先日も横浜の病院で助産婦の資格を持っていない人間が対応したために妊婦が出血多量で死亡した事件があった。私の知り合いにも若くして妊娠中毒症でお亡くなりになった方がいる。そんな命がけの行為を、全国で助産婦がたった2万人強しかいない国で産め!ということがどだい無理な話である。埼玉県の某市に住んでいる私の知り合いは、出産に際して、自分の住んでいる市に助産婦が一人もいなかった為、やむを得ず他の市で産んだと言っていた。首都圏の埼玉でこれだ。地方では更に深刻な状況だろう。にも係らず政府の少子化対策は相変わらずとんちんかんで的外れだ。今回の少子化はそもそも、「会社」「結婚」という二つのシステムの崩壊にも係らず、世間の規範は、相変わらずこの2つを大前提に動いていることが問題なのだ。
 ともあれ今回の慶事を機に出産ラッシュ・ベビーブームが自然にやって来るなんて甘い期待は捨てた方が良い。そして今回の件が雅子さまのご症状に良い影響だけを与えるよう心から願う次第である。


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20ヶ所メッタ刺しのエネルギーとは? [児童問題/少子化]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060217-00000129-jij-soci
 予め包丁を用意し、人気のない場所まで車を運転し二人の子供を車内で20箇所近くも刺したあげく車外に放り出すというその陰湿かつ莫大なエネルギーがどこから湧いてくるのか。そこまで溜め込んだこの中国人の膨れ上がった憎しみを考えてみるに、馴染めない日本(言葉、社会、生活習慣、人間関係)全体への激しい憎悪の大陸的爆発が感じられる。しかし何故、この罪もない二人の子供に向けられたのか?一つには無抵抗かつ自分より弱い存在を狙う卑怯性、もう一つは、犯人の子供がこの二人から苛め(おそらくは他愛もない子供同士の類の)にあったか、もしくは犯人自身が被害者の親から苛めにあったと感じた事(恐らくは本人の被害妄想)への復讐ではないか。事件的背景を考えると後者の、親からの苛め、若しくは親への嫉妬の可能性の方が高い。いわゆる”お受験殺人”と言われた1999年11月の若山春奈ちゃん殺害事件http://www2.cc22.ne.jp/~hiro_ko/2-58haruna.html
と同様の原因と私は考える。単なるの生活のストレスでここまでやるとは思えないし、用意周到さから発作的な犯行とも思えない。以前からノイローゼ状態であったろうことは察して余りあるにせよ、この事件が精神鑑定等により単なる気違いの犯行と看做されないよう、社会環境の根底から徹底した究明を行わないと第二、第三の事件また必ず発生する。
 朝日新聞の記事に「まさかこんな田舎で起きるとは」という近所の老人のコメントが載っていたが、いや、むしろ最近の一連の児童殺害事件を見ると、都会よりも田舎だからこそ発生すると思えてならない。窮屈な人間関係。地方経済の酷い荒廃振り。現場の空中写真を見ると全く人気のない畑のど真ん中で町からすぐにそういう場所へ連れ出せる環境だ。極端な人口減少が進む中、白昼堂々の犯行で目撃者も出ず、事前に阻止できる者もいない。そこで餌食にされる無力な子供たち。単なる勝ち負けで決まる両極端思考の社会で、東横インの障害者設備無断撤去の様に、適応できない者を切り捨てていく社会風潮に対する追い詰められた弱者の過剰防衛、”窮鼠猫をかむ”心理が、今回の事件の根幹にある様な気がするのだ。そんな日本社会全体の弊害を一身に背負って犠牲となった2人の児童は余りにも不運としか言い様がない。

 日経新聞の記事によれば、当幼稚園では複数の園児を保護者が送る「グループ登園」を半強制的に行っていたようだ。鄭容疑者は、グループ登園を一旦は拒否したものの、いじめを恐れてか、周囲の親か幼稚園の同調圧力からか、その後「グループ登園」に加わってはいたものの、自分の子供は無断で連れ帰るなどしていたようだ。この日本の集団的な習慣が中国人である鄭容疑者のストレスに繋がり、「子供さえいなくなれば自分が楽になる」という短絡的且つ自己中心的な気持ちから犯行に及んだとすると昨年12月の京進塾講師の児童殺害事件と相通じるものがある。「めざましどようび」でみのもんたも言っていたが、基本は両親が自分で送り迎えをし、仕事等で不可能な人のみグループ登園を”選択”できる環境しないと各々の両親にかかる精神的負担は増大してしまう。知り合いの母親から話しを聞いたりするとどうも日本の幼稚園はそうした親への集団行動を強要する風土があるように思えてならない。少なくとも私なら近所とは言え見知らぬ他人に自分の子供を預けるような真似は絶対にしたくない。何れにせよ、昨今の頻発する児童殺害事件に対する被害防止の観点から行われた措置が、新たな殺害事件を生む契機となってしまったことはなんとも皮肉な結果である。


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慶事の世間の捉え方 ”ご懐妊ショック” [児童問題/少子化]

先々週までイランで核開発が行われようと、アメリカで利上げ懸念が広がろうと、「株式市場の上昇基調は変わらず」「株高に死角なし」と言われて来たが、先週まで予想だにしなかった慶事で株が下がり、私は大損をしてしまった。
「紀子様ご懐妊」→「皇室典範改正見送り」→「小泉総理求心力低下」→「日銀総裁、量的緩和へ」→「長期金利上昇」→「日経平均、下降局面へ」ってなんじゃそりゃあぁぁ?!(@_@;(-_-;

慶事なのになんで株が下がるんじゃい!
そう言えば、昭和天皇がお亡くなりになってバブルがやって来たんだっけ・・・・。どうも株をやってる人間は世間の物の見方とは逆のひねくれた考えの持ち主が多いらしい・・・・・。

それにしても、「紀子様ご懐妊」のニュースの街頭インタビューで「男の子がお生まれになるといい」とかのたまいてた人たちは、愛子さまをはじめ、皇族の女性に大変失礼だと思う。まるで皇族にとって価値があるのは男児だけで、男子ご誕生を望むおばさんや政治家や宮内庁の方々は皇族の女性をあたかも「男児製造マシーン」の如く扱っているような気がしてならない。これではまるで戦国時代の武将の妻たちではないか!「紀子様ご懐妊」で男子が生まれるかもしれないからと言って女性天皇の実現を見送るというのは余りに時代に逆行した男女差別的な考え方であり、それを差別と気付けない日本の女性の方々も本当に気の毒という他はない。
「男の子でも女の子でもどちらでもいいから元気なお子さまがお生まれになることを願う」とごく当然な答えを返した人だけを私は支持し、心から同意する。
世間では、3歳の子供の折檻死や飢え死など虐待が続き、今日もまた漫画喫茶に赤ん坊が捨てられるなど、子供の誕生を喜べない、子供を邪魔者扱いする風潮が蔓延している。我々のような下流社会人は経済的展望の不透明感から女性に結婚対象と看做されず、既婚の女性達も子育てに金がかかり過ぎる、子供が出来たら仕事をやめねばならない日本社会の現状から子供を産むことはデメリットとなり、せいぜい一人作ればいいという考えが一般的の中、3人もお子様をお持ちになれる紀子様の環境は大変羨ましく、恵まれた環境である。少子化、人口減少が進む中、誰もが紀子様の様に安心して、周囲から祝福されて、そして何よりも当人たちが子供を授かって本当に幸せと思えるような、そんな以前の当たり前な日本の風景を取り戻せることを切に願う。


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突然だが、つくづく [児童問題/少子化]

生物学的に言えば、男性は、一つでも多く自分の遺伝子を残したいと本能的に思っているのに対し、女性は種族全体のためにより優れた遺伝子だけを残したいと考えている。                                                                         この場合の”優れた”とは単に”強い”とか”狩りが上手い”とい単純な内容ではなくて、”角や牙が異様に長い”とか、”躍りが上手い”とか、”のど袋がでかい”とか種によって異なる。これは人間も同様で必ずしも金を多く稼ぐとか喧嘩が強いという理由だけでなく、スケボが上手いとかお洒落とか料理が上手といった、それぞれの価値観が本来はあった。                                                                                   つまり、男性は自分のことしか考えていないのだが、女性は、種全体の未来を本能的に考えており自分の遺伝子を残したいなどとは微塵も考えていない。                                                                                   だから、哺乳類の♂の多く(アザラシや猿など)はハーレムを作り、♀はそれに群がる。アイドルに群がり奇声を発する女性たちは生物的には全く正しい光景だ。結果、♂の多くは自己の遺伝子を残すことができない(つまるところ離れ猿だ)。しかし人間の世界では、本来の自然界では遺伝子を残せない筈の♂でも見合い等のシステムで遺伝子を残せてしまっていた。人間の一夫一婦制というシステムは、こうした生物学的原則に反しているため、崩壊するのが本来は当然であり、それを無理して継続しようとするから色々と矛盾による不幸が起きる。少子化という現象もこうした生物の行動原則に逆らった結婚というシステムが少なからず起因していると私は思う。


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人口減元年で一億総姥捨て山状態 [児童問題/少子化]

1899年に統計を取り始めて以来初めて、日本は今年人口減少に突入した。人口減少自体は、なにしろついこの間までは人口過密に悩んでいたぐらいだから悪いことではない。問題は、年代・地域による人口の極端な偏りによるバランス崩壊である。今や、地方では高齢者が高齢者を介護する時代、我々は無けなしの給料を叩いて年金を払い続けるが年金を納める世代層は減る一方、貰う世代は増える一方(年金で世界一周クルーズに行く老夫婦などは許せん!(怒))、政府の見通しは甘々で、システムは破綻。このままでは私が大人になるころには年金が貰えなくなるのは必定だ。年金だけではない。健康保険料は年々上がって、払い切れず権利喪失、全額自己負担となってしまい、病気になっても医者にかかれない人が急増。地方自治体は財政悪化で公共サービスが行えず、ゴミ収集は有料化、公民館も使用料徴収か閉鎖、図書館は年々予算減額でPFIやNPO、果ては民間企業に助けを求め派遣やボランティアで生き残り。美術館や博物館は、指定管理者制度で民間に委託かもしくは破綻、花火大会やお祭りは中止、などなど市民生活は乏しくなる一方だ。
 世の中が老人ばかりになると消費活動が鈍り、経済も停滞する。既に冬ソナや「三丁目の夕日」、マツケンサンバや氷川きよし、簡単携帯や高齢者向けタウン誌など、消費・流行の主体は完全に若者から高齢者に移っている。複雑機能から単純操作へ、新物好きから現状維持へ、未来志向から懐古趣味へ、音楽(ユーミン的嗜好から中島みゆき的嗜好へ変化)も映画も商品もますます傾斜していき、財布のヒモは固くなり大ヒット商品は生まれなくなる。頑固な頭脳が並ぶ企業側も思い切った経営方針は取れなくなり硬直化していくことだろう。ローソンは店主の高齢化からコンビニの象徴である24時間経営を維持できない店舗が出ることを発表した。
 最近、地方へ旅行するとその廃れ方・過疎化は酷い。東京郊外ですら八王子など以前の大学建設ラッシュは影を潜め、多摩ニュータウンはゴースト化しているのだから、関西や九州や北海道の荒廃振りは目に余るものがある。そんな荒廃した地方の寂しい通学路を通う数少ない子供達を変質者が襲う。万博特需で一時的に盛り上がった名古屋も新空港の負債など落ち込み材料はてんこ盛りだ。にも係らず九州・東北新幹線や北九州・静岡空港など無駄な土木工事は一向に減る気配を見せない。これらが採算が採れないことは誰の目にも明らかなのに、一度決めたことだから状況がどんなに変化しても柔軟な対応が取れないでいる。そして 人口減でも都心回帰とやらの東京一極集中で電車のラッシュは一向に改善されない。地方は職が無くなる一方なので仕事を求めて人々は益々東京に集まり、職にあぶれた人々がホームレスとしてスラム化していく。 先日、自販機の下を、落ちている小銭目当てに傘で一台一台さらって歩くホームレスの方を見たが、ああいう人々は日に日に東京では増加している。そして、実体経済は全く反映しない株価高騰の中、11月の失業率は2ヶ月連続で上昇した。
 フリーターを始めとする我らが下流社会人は、子供を養う経済力が得られないという以前に現在の日本では結婚対象として女性から見られない(子供を作る時間とエネルギーがいくらでもあるし、発展途上国ではもっと低所得な人間がたくさん子供を作っているにも係らず)。一方、中高所得者層は、自身の生活レベルを維持するため昼も夜も働き通しで時間とエネルギーを総て仕事に注ぎ込んでしまうため、やはり子供を作る暇がない。結果、子供を作る層が誰もいない。社会構造の変化が結婚システムの限界を露呈させ、四人家族システムを崩壊させた結果だ。これを改善させるには非嫡出子の権利の向上、シングルマザーの公認化など結婚に寄らない出産・育児が必要であり、フランスなどの先進国の政策を学ぶべきであろう。  
 少子化に伴う労働力(介護を含む)不足を補うのは海外移民しかないが、日本の病的な閉鎖性、
島国根性、対中国人を始めとするアジア蔑視(統計によれば中国人への親しみ感の無さは過去最低)、自己の政策への国民の不満を中国へと逸らす小泉政策にまんまと乗せられた国民(丁度、中国が自国への不満を日本に逸らしているのと全く一緒)、こんな状態ではアジア経済圏など夢のまた夢だ。中国という巨大で美味しい市場、豊富な労働力を目の前にしてむざむざアメリカやEUに奪われて続けてもまだ「靖国参拝反対は内政干渉!」などと愚かな国家主義を振りかざす。
 以前、バトルロワイヤルという若年層の口減らしをテーマとした仮想社会の映画が流行ったが、もはや、日本の超高齢化を食い止めるには、老人版バトルロワイヤル法ならぬ日本古来に実在した恐怖の口減らしである「姥捨て」復活しかないのでは?(爆)と思えるほど事態は深刻である。
もっとも柳田國男「遠野物語」によれば姥捨てにあった老人たちは死んでしまった者ばかりではなく、山を降りて自分たちで別の村を作ってしまうこともあったそうだが。ともあれ、現在、地方の過疎地や寂れたベッドタウンのマンションの一室で孤独死を迎えて死後三週間経ってミイラ化して発見されたりするお年よりの話を聞くにつけ、正に現代の姥捨て山だなあ、と思ったりする。もともと日本は世界の東の果て、世界の中心である欧米から見れば最も遠い場所であり、中国から見ても会稽東治の東にある過疎地である。今や日本は、「地球の田舎」として「一億総姥捨て山状態」にある。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20051228AT1E2701M27122005.html
http://www.asahi.com/business/update/1228/045.html


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誰が子供を殺したのか [児童問題/少子化]

「京進」では今日(12/12){→明日(12/13)だそうです、テレ朝に騙されました}、12月という受験を控えた時期との理由から父母の要請で、授業を再開するそうだ。これだけの事件が起きても親たちはまだ、子供の命より受験が大事らしい。まさに”狂信”だ。親たちはどうかしてるんじゃないか!子供の気持ちを考えたことがあるのか!子供を殺した本当の犯人はこうした親たちだ!
同じ塾だぞ!同じような講師が採用されていると考えたことはないのか!
学習塾なんてただの企業。子供を金づるとしか見てないよ。

これでは、殺された紗也乃ちゃんは浮かばれない・・・・・・・・。


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子供たちに逃げ場はどこにもない [児童問題/少子化]

http://www.asahi.com/national/update/1210/OSK200512100006.html
もう子供たちに安全な場所はどこにもない。同志社大学っていやあ結構名の知れた大学じゃないスか。だからといってそのブランドだけで信じちゃう親や経営者側もどうかと思うけど、それにしても塾講師が!っていうインパクトはあるよね。でもよく考えると塾講師なんてなんの資格もいらないんだから、今や教師だってしょっちゅう犯罪を犯す時代だから、信用なんてできないよね。よく夜遅くまで小学生を塾に通わせてる親が私の身近にもいるけど、こんな危ない時代に全く何考えてんだろうと思ってしまう。有名私立校なんか出たって、結局、本人の人格が伴わなきゃ幸せになんかなれっこないのにねぇ。学歴社会に育った今時の親世代は、全入時代を迎えても今だに一流大学神話、一部上場企業神話が消えてないんだねぇ。ある意味、今の子供をここまで危険な状態に追い込んだのはその親の責任もあると思うよ。その意味で今回は加害者が一流大学の人間というのはなかなか象徴的な出来事だったんでは。一流大学に入っても人間性が備わってなかったらまともな人生は送れないんだよー、って言う見本みたいもんだね。そういう意味で小学生っていうのは人間性というか情緒的な教育を行うのに一番大事な時期じゃないスか!そんな時に防犯ベルもたせてアクセク受験勉強させてそれ以外はゲームばっかりやって、じゃあ人間性や思いやりなんて培われるわけないよね。そんな他人を蹴落とすことばかり、単位取る要領ばかりうまい奴が大人になって小学生に馬鹿にされたっていって包丁で刺ししちゃうんだねぇ、きっと。まさに輪廻転生、悪循環、デフレスパイラルだね。人生お金が総てじゃないよ。いくらお金持ってても使い方がわからないと意味ないじゃあないスか。そしてそんな日本人、無闇な拝金主義者が今の日本の大部分で、彼らが「勝ち組、勝ち犬に」と叫んで親を急き立て子供たちを追い詰めさせ、挙句の果ては殺してしまっているんじゃないですか!人間、命あっての物だねでしょう!、墓場まで金や学歴やブランドは持っていけないんですよ。子供の人生は子供のもの。生まれ落ちた瞬間から親とは別の人生、別の人権があるんです。子供を自分の体の一部のように考えてる親が多すぎる!ましてや自分に達成できなかったことを子供にやらせようなんて言語道断!子供は鼻たらして元気に外を遊びまわってりゃいいんです。そして大人たちは子供が安全に遊べる環境さえ提供してやればいいんです!!。そんな最低減のことすらできない大人たちに囲まれた今の社会に生きる子供たちは、本当に不幸で悲惨だと思う。


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人はどこまでも愚かなのか? [児童問題/少子化]

栃木県でまた7歳の女の子が殺害された・・・・。
もうどれがどの事件だがわからなくなってきた。

広島で同様の事件が起きたばかりなのに、なんで教訓を活かせなかったんだ?
いつもの「うちの子に限って」病か?
でもあんな場所、日本中にいくらでもあるよなぁ。もう子供は絶対一人で外に出せない。

一体、日本中に何人、女の子を襲って殺したい奴がいるんだ?
どれだけ子供が犠牲になったら、人は学ぶことができるのか?
どれだけ幼い子供の人生を、夢を、無限の可能性を奪えば気が済むのか?
なぜそこまで、犯人たちは身勝手なのか?
なぜそこまで欲望のままに走ってしまうのか?

俺も男だから、小学生には全く感じないが性的欲望のコントロールの難しさはわかる。けれど決して肯定的ではないけれど風俗とか、合法的な処理の仕方は世の中にいくらでもあるじゃないですか!7歳の稚い女児を殺してまで遂げなければならない欲望ってなに?全く理解できない。

 この問題は30代40代(バブル入社組)の失業問題と絡んでいるような気がする。成功の頂点から奈落の底へ。中途半端に金も暇も精力もプライドもあるのに、どこにも居場所も役割もない人々。バブル崩壊とともに技術も資格も、若さもないまま社会に放り出された人々。誰を恨んでいいかわからない人々。その鬱積した恨みと暗い欲望は、自分自身(マゾ)か、もっとも弱い者(サド)に向けられ、気がつくと駅のホームのふちにぼんやり立って飛び込みかけてるか、女の子の首を絞めている。そういえば、日経平均急上昇で浮かれる中、完全失業率も上昇しましたね。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/

 バブル入社組に社会的地位を与えない限り、30代40代の失業者に周囲が居場所を与えない限り、いくら子供に防犯ベルを持たしても今後も身勝手な事件は無くならないだろう。

いつか見た青い空はもうない。涙が止まらない。


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もうたのむからやめてくれ! [児童問題/少子化]

 最近、子供が残酷な殺され方をする事件が相次いでいる。今日もわずか7歳の女の子がダンボールに箱詰めにされて粘着テープで封をされて殺される事件があった。こういう事件がある度に自分の体の一部がもぎ取られたような心の痛みを感じる。
 今は、人々が構造不況、失業、グローバル化、ハイテク化、少子高齢化、二極化等による非常に速い社会変化と増大する不安から、多くの人間が周囲に対し、過剰防衛、過剰攻撃に走っている。
結果、強い者は弱い者を攻撃し、苛め、鬱積する不満のはけ口は弱者に向けられやすい。本来ならこの不満は、フランスの暴動のように政府に向けられてもよいはずだ。しかし、政府(自分より強い存在、お上)に対し不満をぶつけることはある程度リスク(最悪の場合デモなどに対する逮捕、違法でない場合でも社会からはみ出る、就職が不利になる、会社に悪い印象を与え出世が遅れたり降格やリストラされる、他人から攻撃を受ける、もっと単純な理由はダサい・暗いなど)や勇気(単に自分の意見をはっきりのべることすらできない若者が多い。メールの影響もあると思う。選挙で野党に票を入れることすらためらう田舎者も多い)を伴うと考え恐れ、卑怯な日本人はこれを最も弱い存在、つまり子供へと向けている。児童虐待もその一つである。っていうか本当の自分の敵が誰なのか、誰を攻撃してよいのかすら判断がつかない無知蒙昧な人がほとんどだ。
 昔から いじめられっこ=いじめっこ である。苛められた人間はさらに自分より弱い人間を探して苛めることでストレスを解消する。では最下層の人間はどうするか?昔はせいぜい、女の子のスカートをめくったり、庭でアリを水攻めにする程度の可愛げのある無害なものだった。子供の頃に虫やカエルを殺して人は”命”とはどういうものなのか理解してきた。それが今では、なぜ命の大切さを学べないまま大人になってしまうのか。

 たのむから、もうこれ以上、子供を殺さないで!希望を奪わないで!


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