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パニック障害の男(2):狭まる世界 [続き物]

それから先のことはよく覚えていない。おそらく這うようにホームに出た後、ベンチで暫く休んで会社に行ったのであろうが、何しろ10年以上も前のことなので忘れてしまった。とにかくそれからというもの、電車は急行には極力乗らなくなった。時間的にどうしても止むを得ない時は、外がよく見えるようドア越しに寄り掛かって立ち、冷たい飲料を絶えず口に含んだり、濡れたハンカチを額に当てたりしてパニック症状を防いでいた。特にのどの渇きは非情に恐怖感を煽るので、閉所ではペットボトルは必需品となった。タクシーにも乗らなくなった。どうしても乗らなければならない時は当然、窓側で窓を開けて乗った。他人の車やバスもそうであった。スキーや長時間の旅行も行けなくなった。好きだった夜行列車も苦痛になった。自分の車は、高速での走行や渋滞で止まった場合など考えると恐くて運転できず、乗らなくなってしまい、もったいないから売ってしまった。
 しかし恐怖対象はどんどん広がり、ある日、美容室で後ろ向きに頭を洗っている最中に、パニック症状に陥り、美容師の制止も聞かず、泡だらけ・頭びしょぬれのまま起き上がってしまった。あの時のびっくりした美容師の顔は今でも忘れない。それ以来、その馴染みの店には行けなくなった。前かがみで髪を洗う方がまだマシなため、床屋に行くようになった。当然、一刻も早く店を出たいので髭などそらなかったが、そのうち髪を切っている間もじっとしているのが苦痛になり、10分1000円のカットハウスに行くようになった。あれだと早くて髪の毛も吸い取るだけなので具合が良い。
好きだった映画館も座っているのが苦痛になった。やはり濡れたハンカチを額に当てたり。水や飴を口に含んだり、姿勢を頻繁に変えたりしているがストーリーに集中できずすっかり楽しめなくなった。コンサートも苦痛になった。立ちっぱなしもつらいし何より馬鹿でかい音が苦痛になった。音楽もあまり聞かなくなった。ちょっと遠くまで散歩に出るだけでも不安になった。例えば自転車で遠出をして周囲に誰もいない道でパニック症状を起こし地面に寝て休んだりしたこともあった。やがて休日は殆ど部屋に引きこもるようになった。そんな状態が何年も続いた。会社の健康相談員に打ち明けてもにこにこ笑って聞いているだけで何もしてくれなかった。今でこそ、芸能人がテレビで自分はパニック障害だったとカミングアウトするようになったが、当時はそんな病気は殆ど認知されていなかったのだ。風邪や疲労が溜まっているのかと思い、頻繁に内科に通い風邪薬を処方してもらったが当然症状は改善されるどころか悪くなるばかりだった。


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