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20ヶ所メッタ刺しのエネルギーとは? [児童問題/少子化]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060217-00000129-jij-soci
 予め包丁を用意し、人気のない場所まで車を運転し二人の子供を車内で20箇所近くも刺したあげく車外に放り出すというその陰湿かつ莫大なエネルギーがどこから湧いてくるのか。そこまで溜め込んだこの中国人の膨れ上がった憎しみを考えてみるに、馴染めない日本(言葉、社会、生活習慣、人間関係)全体への激しい憎悪の大陸的爆発が感じられる。しかし何故、この罪もない二人の子供に向けられたのか?一つには無抵抗かつ自分より弱い存在を狙う卑怯性、もう一つは、犯人の子供がこの二人から苛め(おそらくは他愛もない子供同士の類の)にあったか、もしくは犯人自身が被害者の親から苛めにあったと感じた事(恐らくは本人の被害妄想)への復讐ではないか。事件的背景を考えると後者の、親からの苛め、若しくは親への嫉妬の可能性の方が高い。いわゆる”お受験殺人”と言われた1999年11月の若山春奈ちゃん殺害事件http://www2.cc22.ne.jp/~hiro_ko/2-58haruna.html
と同様の原因と私は考える。単なるの生活のストレスでここまでやるとは思えないし、用意周到さから発作的な犯行とも思えない。以前からノイローゼ状態であったろうことは察して余りあるにせよ、この事件が精神鑑定等により単なる気違いの犯行と看做されないよう、社会環境の根底から徹底した究明を行わないと第二、第三の事件また必ず発生する。
 朝日新聞の記事に「まさかこんな田舎で起きるとは」という近所の老人のコメントが載っていたが、いや、むしろ最近の一連の児童殺害事件を見ると、都会よりも田舎だからこそ発生すると思えてならない。窮屈な人間関係。地方経済の酷い荒廃振り。現場の空中写真を見ると全く人気のない畑のど真ん中で町からすぐにそういう場所へ連れ出せる環境だ。極端な人口減少が進む中、白昼堂々の犯行で目撃者も出ず、事前に阻止できる者もいない。そこで餌食にされる無力な子供たち。単なる勝ち負けで決まる両極端思考の社会で、東横インの障害者設備無断撤去の様に、適応できない者を切り捨てていく社会風潮に対する追い詰められた弱者の過剰防衛、”窮鼠猫をかむ”心理が、今回の事件の根幹にある様な気がするのだ。そんな日本社会全体の弊害を一身に背負って犠牲となった2人の児童は余りにも不運としか言い様がない。

 日経新聞の記事によれば、当幼稚園では複数の園児を保護者が送る「グループ登園」を半強制的に行っていたようだ。鄭容疑者は、グループ登園を一旦は拒否したものの、いじめを恐れてか、周囲の親か幼稚園の同調圧力からか、その後「グループ登園」に加わってはいたものの、自分の子供は無断で連れ帰るなどしていたようだ。この日本の集団的な習慣が中国人である鄭容疑者のストレスに繋がり、「子供さえいなくなれば自分が楽になる」という短絡的且つ自己中心的な気持ちから犯行に及んだとすると昨年12月の京進塾講師の児童殺害事件と相通じるものがある。「めざましどようび」でみのもんたも言っていたが、基本は両親が自分で送り迎えをし、仕事等で不可能な人のみグループ登園を”選択”できる環境しないと各々の両親にかかる精神的負担は増大してしまう。知り合いの母親から話しを聞いたりするとどうも日本の幼稚園はそうした親への集団行動を強要する風土があるように思えてならない。少なくとも私なら近所とは言え見知らぬ他人に自分の子供を預けるような真似は絶対にしたくない。何れにせよ、昨今の頻発する児童殺害事件に対する被害防止の観点から行われた措置が、新たな殺害事件を生む契機となってしまったことはなんとも皮肉な結果である。


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