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黄泉がえり系の流行るわけ [番組/CM一言]

 また、黄泉がえり系ドラマ(「いま、会いにゆきます」)が始まった。先日も「雨と夢のあとに」をやってたが、黄泉がえり系は今、ひっぱりだこである。この系統の前提には、若死に系ドラマがあって、主人公は親しい人(妻、子供、恋人)を失ってクヨクヨ悔やみ、悲しみ、それを回りの親戚や友人、片思いの異性が支えるなか、立ち直っていくという奴である。この背景には現代社会の暗さが伺える。バブルの頃なら、こんな暗い筋書きはヒットしない。現代社会で不幸な辛い目に合っている人たちは、自分よりさらに不幸な人をドラマの中に見出して、優越感に浸り、自分の不幸は対したことないやと安心し、且つその人さえも立ち直っていく様に勇気づけられたりなんかするのだろう。しかし、現実はドラマを越えてさらに厳しさを増した。利益優先・安全軽視による大事故、鬱による集団自殺、過労死、小学生が同級生を殺人、子が親を殺人、虐待死などなど、巷に死が溢れ、人々はもはや現世に希望が持てなくなった。そこで、天国や来世(生まれ変わり)に希望を持つようになった。これが黄泉がえり系である。これは、もう日本人の大嫌いな宗教の話である。現世で良い行ないをしていれば、人は天国へ行き、かつ生まれ変わってもまた良い人生を送ることができるという、
キリスト教の思想や仏教の転生輪廻に基づいている。大人はいいが、こうした安易な死をテーマにしたドラマは子供に良い影響を与えないのではないか。佐世保の小六殺人事件後、多くの小学校でアンケートをとったところ、かなり数の生徒が生まれ変わりを信じるという結果出ていた。現世に幻滅に安易に死を選び、人生をリセットし、生まれ変わってやり直そうとする思想が増えている。
 だが、人生は一度切りであり、人生そのもののやり直しは効かない。だからこそ命は地球より重い。そして人生そのものは決して美しくなく、楽しくもない。生きていくことは辛く苦しいことである。しかし、一度切りだからこそ一瞬一瞬の生命の煌きに奇跡のような美しさを見い出すことができる。人生が何度も繰り返せるのであれば「次がんばればいいや」みたいな投げやりな思想な蔓延し、だれも真剣に生きようとしなくなるであろう。今日1日を精一杯、それが人生の全てである。黄泉がえり系は人生と死を美化しすぎだし、役どころはみな善人過ぎる。そしてなによりも「来世でやればいいや」的な投げやり思想が感じられ、命が実に軽い。人生そのもののやり直しは効かないが人生の中でやり直しは効く。そういうドラマは大好きである。人生にあきらめ死を選んだり、他人の命を奪って来世意に希望を持つ前に、もう一度人生の中でどん底からやり直すことを考えるべきであり、そういうドラマを放映してほしい。人は蘇りなどしない。天国も地獄もないし、転生輪廻もない。人間は死ねば腐って土に帰るだけである。霊は、生きている人が自分の頭の中に見せているだけである。
 蛇足だがこのドラマには犬と子供が出てくる。以前はこのどちらかだけでもドラマは作れた。しかし現代では、子供を生めない人は犬に服を着せ、犬も飼えない人は来世に憧れるという図式がある。子供→犬→幽霊。どんどん軽くなり現実逃避していく様が伺える。


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