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圧倒的静寂と透明感「となり町戦争」 [書籍/漫画感想]

となり町戦争

となり町戦争

  • 作者: 三崎 亜記
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 文庫
 
 良いSFとは、どこの場所とか、いつの時代とか、そういう虚飾を極力排除して、自分の描きたい部分に特化して表現し、それでも読者(観客)を納得させる描写を持ち、しかも設定が希薄だからこそ、各々の空想の領域が大きく広げられる作品だと思う。本小説はその稀な成功例と言えよう。私がエンキ・ビラル「バンカーパレスホテル」や椎名誠「アド・バード」「水域」「武装島田倉庫」等で感じたそれらは、未来なのか異世界なのか、地球なのか別の惑星なのか、何のための行為なのか説明は一切なく、それでいて不自然さもなく日常生活の連続の如く唐突に淡々と始まり、読者(観客)は物語に投げ出されるのではなく、除々に異様な世界に足を踏み入れていく。
 どこか、いかにもありそうな名前の日本の架空の街。”クィア座”という存在しない星座(星座の形が変わるほど遠い未来?)と目に見えない高速で襲いかかる謎の兵器という二つの未来的事物を除けば、とり巻くのは携帯・車・PC・会社・お役所など全て現代社会の産物である。しかし隣り合った町で合法的戦争が可能というあり得ない法律から、バトルロワイアルやフリージアなど最近流行りの異世界ものであることがすぐにわかる。もっともバトルロワイアルの様な、戦争という言葉に触発される陰惨な殺し合いの話ではない。むしろその残酷的刺激への期待を全て裏切った、一切暴力表現のない、主人公と供に読者の戦争のイメージを根底から覆す意図で著者は描いている。では人は死なないのかというと大勢死ぬ。それは冷たい数字だけの死。丁度我々がイラクやパレスチナの紛争で何十人の犠牲者が出た、というニュースをネットで見ている様に、血の臭いも叫び声もしない戦争である。まるで忍者か必殺仕事人のように、人々は闇から闇へ、死ぬというよりは静かに音もなく消されていくのだ。その圧倒的静寂と透明感が生み出す、無力感、清らかさが独特である。もはや一体何の為に戦っているのか、敵は誰なのか誰にもわからない点は、イラク戦争など現代の戦争の無意味さを揶揄しているのだろう。また本質を見失いあくまで自己世界内に完結する戦争オタクは、今時の若者の壊れた人間性を指摘する。
 椎名誠のSFは生物名や地名のみに異常にこだわるが、公務員である著者のこだわりはひたすら「お役所仕事」、なかでも「手続き上の書類」である。何をするにも(戦争するのもSEXするのも)、フォーマットに従った文書を出し、法律・条例・規則に基づいて行われなければならず、そこに人間的感情の入る余地は最後まで無い。そして市長は天皇の如く君臨し、トップから底辺まで整然とした、有無を言わさぬカースト的猿山構造は、言葉つきが慇懃無礼なだけで公僕などという観念は全く無く、日本の冷徹な官僚支配を表しているかの様だ。主人公のごく一般人的視点から出た感想・意見は、こうしたお役所の職員の永田町的思考とは全く噛み合わない。
 こうした官僚機構の末端の存在であり、主人公を異世界へ誘う女性「香西さん」は、物語を支配するこれら静寂・透明・お役所的という要素を全て凝縮した存在である。それでいて母親であり、聡明かつ有能な女性であり、慰安婦であり、冷静であり、儚く、時に弱さや甘えも見せ、そして美しいという世の全ての男性の理想の女性であるわけだが、その言葉は時に刃の様に冷たく、決して最後まで感情に従って行動しない。これは現実の女性ではあり得ないと思う。”女心と秋の空”と言われるほど全ての女性は感情に従って行動し、常に理屈による制約から抜け出せない世の男性どもを悩まし、そして救ってしまうのだから。そういう意味で香西さんは余りにリアル性がなく、男性の視点から作られた女性像である。二人の性行為はまるで現実味のない夢幻の如きである。だからこそ全く嫌味がなく、その後に来る打ちのめされる様な悲しみ・痛みが主人公を読者を支配する。主人公は明らかに僕ら庶民の象徴であるが、香西さんが国家という支配体制の象徴かというとそうではなく、むしろ国家と庶民の間に透明な膜一枚隔てて存在し、その体温や涙や触覚を一瞬感じることはできても最後は常に国側に戻っていく存在である。それは悲しみや夢や希望や恋愛感情を持っていても、個人の意思を一切入り込ませる余地のない、戦争という神の如き、圧倒的且つ巨大な支配力の前に抗う術などない個人を象徴している。丁度、赤紙一つで召集されていく兵士の様に。その場で戦争の虚しさ・無意味さを唱えたとて一体何になろう。  
 そんな絶望的状況を敢えて戦闘シーンを描かずに(若干の逃走シーンがあるぐらい)、ただ女性の仕草や言葉のみで表現した著者の才能はすばらしい。本当の敵は目に見えない。我々はその見えない敵にいつの間にか支配され、気が付くとこの小説の様に例え戦闘行為が無くとも、戦争という極限状態の中に身を置く日が突然やって来るかもしれない、いや、もう既にそうなっているのかもと考えさせられる内容だった。決してハッピーエンドとは言えないにも係らず、読み終った後、希望が感じられるのは、主人公と香西さんの余りに純粋で瑞々しい、月の光の様な触れ合いが際立っているせいだろう。
  
バンカー・パレス・ホテル

バンカー・パレス・ホテル

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2007/03/21
  • メディア: DVD
  • 水域

    水域

    • 作者: 椎名 誠
    • 出版社/メーカー: 講談社
    • 発売日: 1994/03
    • メディア: 文庫
    武装島田倉庫

    武装島田倉庫

    • 作者: 椎名 誠
    • 出版社/メーカー: 新潮社
    • 発売日: 1993/11
    • メディア: 文庫
    アド・バード

    アド・バード

    • 作者: 椎名 誠
    • 出版社/メーカー: 集英社
    • 発売日: 1997/03
    • メディア: 文庫

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