囁きと村祭り[横浜トリエンナーレ] [美術展/博物館感想]
http://www.yokohama2005.jp/
とにかく寒い!!これからトリエンナーレに行く方は重装備で行くことをお薦めします。
吹きさらしだし、倉庫だし、ストーブは燃える部分が上についているので暖かい空気が下に来ないしで、すっかり風邪を引いてしまいました。
現代美術と通常の絵画・彫刻との違いは、視覚に+αを加えたことによる。それは、当初、聴覚だった。視覚は派手にしても、塀で囲めば他のオブジェと競合しない。塀で囲んだアートが今回やたらと多いのはそのせいだ。
閉鎖された空間の中に、月世界に作られた工事現場のような模型を作り、真っ暗な中に様々な
形の照明を浮かび上がらせる情景を見下ろせる高嶺格の作品は非常に幻想的で綺麗だった。
迷路のような通路を中、ふと見上げると天井の星空が広がるタニシKのアート。
金の折鶴で作ったツリーの中に入って見上げられるコウマのアート。
カメラを覗くことにより初めて赤・黒・緑・黄の円盤に手などが付いたオブジェが見えて逆に観客 が消える松井智恵のアートは、会場中のあちらこちらに設置されていてついつい覗いてしまう。
ジャコブ・ゴーデル&ジャゾン・カラインドロスの「Anjel Detector」は、会話中にふと訪れる沈黙 をフランスの諺で「天使が通った」ということから、音を立てないと点く電球を部屋の中央に置いて 観客に眺めさせる。
しかし聴覚は派手にすると他のアートの音と混ざり合って、まるで渋谷のトライアングル交差点の広告のように単なる騒音になってしまうことである。従って、複数の現代アートの音量は一定以上あげられず、まるで木の葉のざわめきのように囁き状態になる。
小さい携帯画面の中を人が回転するジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーのオブジェでは、囁くように「左回転、左回転」と言い続ける。
公衆電話の受話器から各々違った母親の囁きが聞こえる「ミリオン・ママ」。
第二段階として触覚が加わる。すなわち直接触ることのできるアートだ。しかし現代美術は一歩進んで2つの道を選択した。一つは持ち帰れるアート。
中央のブースで作家手作りのヌイグルミを周囲に洗濯バサミで吊るして飾り、観客はそれを購入 して持ち帰れる「毎日森」
百円を入れメニューの番号を言うとその場で即興で作ったアートを自動販売機のように下から出 す「百均メニュー」(私は「それでよい絵画」を購入しました。ちなみに2つの番号を言っても合わせ て作ってくれていました。)
もう一つは、自分自身が参加してアートの一部になってしまうこと。
「工事現場の堀の影」では自分の影もアートになってしまいます。
空間にクッションを敷き詰めたソイ・プロジェクトのアートは中に入って寝っころがれる(もう起きた くありませんでした)。
観客が直接乗れるヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルトの「Singerclub」(光るブ ランコ。当然乗りました。ボランティアのおじさんが押してくれます。)
悪夢・将来の夢・差別へのメッセージを紙に書いて各々茶色、オレンジ、緑の布にピンで止める
アルマ・キントのアート(当然書きました。「巨大イカの襲われた」「遺跡を守る」「日本人は単一民 族ではない」の3つです。中には趣旨とは全く関係ない「左回転」とか書いている人も多かった。こ ういう観客のいい意味での裏切りも計算のうちか?)。ああ、これはまるで、七夕祭りの短冊だ な!と思いました。
思うに参加できる現代アートとは村祭りですよね。祭りは大きくなればなるほど祭りを実施する団体(村の青年団とか商店街組合とか)と観客が離れ離れになっていって双方の間に距離できてしまう。本来、祭りとは誰でも参加できるはずだが、よそ者は神輿や盆踊りを遠くから眺める祭りが日本では殆どだ。芸術も然りで、名画になればなるほど柵やら線やらガラスケースやらで観客を遠ざける。現代アートが行きついた先は、その場、居合わせた人々も気軽に祭りに参加できる「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日~」である。
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