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「デュシャン」−便器を鑑賞する滑稽− [美術展/博物館感想]

「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」
 マルセル・デュシャンといえば、なんと言っても便器=「泉」だ。普段は敢えて見ようともせず目をそむけてしまう便器(汚物)も、こうして美術館に展示されると、しげしげと眺めてしまう自分がいる。しかし便器はいくら眺めても便器でしかなく、それをじっくり鑑賞している自分が滑稽に思えた時、デュシャンの術中にハマっているのである。今回はシェリー・レヴィーンのバージョンアップ版、黄金便器=「ブッダ」も加わってより一層、花(?)を添えている。デュシャンは芸術をとことん皮肉ってるのが好きだ。今回は「自転車の車輪」、「秘めたる音に」、「ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない」、「なりたての未亡人」、「エナメルを塗られたアポリネール」、「L.H.O.O.Q(彼女のおしりは熱い)」、「階段を降りる裸体」などなど押さえどころがきちんと展示してあるので良かった。また、ヒビのない東京バージョンで綺麗すぎではあるが、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」も中央にデン!と鎮座ましましていてやはりこれがないとってなもんである。今更、この謎解きなど野暮な話はしないが、これが未完成なら完成品はどうなっていたのか、一度は見たい!とファンなら考えるだろう。透明なガラスに描かれた当作品は後ろ側に回ると前から見ている人にとっては自分自身もオブジェの一部となってデシャンの企みに参加することができる。
 しかし、デュシャン以外の作品は下らないものが多かった。デュシャンの良さは改めていううまでもなくレディ・メイド=既製品をそのまま使ってサインをし、飾り気のないことであるが、他の作家の作品はごてごて飾り過ぎである。特に電飾の車輪はよくない。自転車と電気は一番合わない。素朴さが台無しである。しかし、それでも吉村益信の「大ガラス」よりはマシだが。いくらデュシャンがダジャレ好きで、FRENCH WINDOW≒FRESH WIDOWだからって寒いよね。「なりたての未亡人」は単なるダジャレではなく、そういう題名を付けられた時に見る側がこの黒い窓と未亡人との間に何か性的な共通性を見出そうとしてしまう事に意味があるが、当作品解説の「不可解で不気味な存在として共通してる」って無理やりな解釈はいただけない。唯一、関心を惹いたのはロバート・ゴーバーの「排水口」。排水口になんら手を加えない当作品はデュシャンのシンプル精神を受け継いでおり、表示板がなければ作品とは気付かずに通り過ぎてしまいそうである。床ではなく壁に取り付けただけで不可思議なアートとなってしまう感覚のずれと、ただの排水口をしげしげと眺めてしまう自分のおかしさ。デュシャンならどんな題名を付けただろうか。


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